LEO KOMINZ
胡散臭いおっさんになりそう
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エンタメ・マスコミ・クリエイティブ・芸能などの職種を統括する「業界」たる場所で生計を立てていると、あまり社交的ではない私コミンズ・リオみたいな人間でも、定期的にパーティに呼ばれたりする。制作会社の周年パーティだったり、新サービスのローンチパーティだったり、なんかのブランドのリニューアルパーティだったり、単純に自分のお家に自信のあるかたのホームパーティだったりと、もう「パーティ」と言う名前のつくものが大好きな人種で溢れているのがこの業界なので、常に何らかある。そして、こういったパーティに出席し、40~50代の、社長やフォトグラファーやスタイリストなどに出会ったり紹介されたりすると、総じて同じ感想を抱く。この人、若い。いろんな意味で、その中でも一番は「雰囲気」が、若い。こう感じるのにはいくつか理由があると考えており、以下の4つにまとめられると思っている。

①外見A:髪を茶髪に染めているや、ちょび髭を生やしている、運動や筋トレをして体を絞っているなど、肉体的要素が若い。

②外見B:普段からスーツを着ていないことから、ラフな格好が板についており、そのラフな服装にもお金をかけていてセンスもあるので若い。

③内面A:「好きなこと」を仕事にしていること、自分で仕事を一定レベル選べていることにより、「上司に言われたことをやる=サラリーマン」に比べてストレスが少なく若い。

④内面B:都内の一軒家に住んでいる、高級車に乗っている、芸能人と友達、など、一般的に言われている「社会的成功」を収めているため、気持ちに余裕があり若い。

例をあげると、実際に出会ったことのある40代後半の制作会社の社長は、短めの茶髪、整えられた顎ヒゲ、無地だけどおそらくブランドものの白Tに柄物のカラフルなパンツ、腕にはフランクミュラー。隣に立つ、どう見てもなんらかの芸能をやっている長身細身の美女に、慣れた手つきで、緊張した顔一つ見せず「あー、あのCM?そうそう、うちでやったやつ、10年前ぐらい」などと話していた。雰囲気が若い上に自信に満ちており、余裕もあり、経験と知識も備えてるので、業界に溢れかえっている世間知らずの20代前半の女の子がこの手の男に引っかかるのはもはやしょうがないな、と悔しいながらも納得してしまう。

ただ、この男性が醸し出す「若さ」にはからくりがあり、一歩間違えると瞬時にそれは「胡散臭さ」に変わる。モデルの女の子からキラキラとした尊敬の眼差しを送られている男性の次に紹介された人物は、50代半ばと見られるが、ニューエラのキャップを斜めに被り、服装はチェックのシャツに短パン、靴はモデルがニッチすぎてわからない派手めのエアジョーダン、首からは値段は高そうだがそれ以外は完全に謎めいている金のジュエリーがぶら下がっている(のちに知るのが、このジュエリー、彼のやっているブランドのロゴを入れて特注したものらしい)。話している内容も、SNSマーケティングやらエンタメ業界に置けるAIの可能性など、今の時代っぽいのだが、なぜだろうか、このかたからは先ほどの男性から感じる「若さ」がない。ただただ胡散臭いのだ。この男性が、未だ90年代から抜けられない、アメリカ西海岸系の一発屋おじさんラッパーを彷彿とさせる、本人にまるで似合ってない格好をしているから…とかも実はあまり関係なく、おそらく彼がピシッと高級スーツで決めてきたとしても、その胡散臭さは変わらないであろう。なぜだろうか。

この疑問について深く考えることになった理由はシンプルで、自分自身、このまま行くと、この胡散臭いおっさんの二の舞になるのだろうな、と直感したからだ。今でさえ、うちの会社でやっている撮影に顔を出したりすると、「リオさんは何歳なんですか?」とクライアントに聞かれることが多く、それに対して「何歳に見えますか?」と返すたびに、「えーと…23?」とか言われ、もうすぐ30なのに23に見えるってどれだけ威厳がないのだろうかと絶望しかけるのだが、自分の格好を改めて見直すと短パンにスニーカーだったりするので、むしろごもっともですね、と納得してしまう*1。もしこのまま、20年経っても変わらず、「夏は暑いし今日も短パンとビーサンでいいでしょ!」と思いながら日常を過ごしていたら、絶対にあのパーティで出会った「90年代一発屋ラッパーおじさん」と同じ末路を辿ることになる*2。それだけは絶対に嫌だ。そう、これは死活問題なのである。

なので考えた。そこで思ったのが、そもそもなぜあのおじさんはあの格好をしていたのだろうか、と言う根本的な疑問だった。もちろん、B-BOYのルックが好きだから、と言うのはあると思うのだが、同時に、その、なんとう言えばいいのだろうか、「客観性」はなかったのだろうか、と思われる。鏡の前に立って、「あれ、俺もうおっさんじゃね?今日パーティだし、こんな服装でいいのかな?」と思ったりはしないだろうか、と単純に疑問に思ってしまう。いわゆる、一言で述べると「年相応」の観念である。こう考えて行くうちに、この「年相応」に連動する、「自分の年齢の客観的な捉え方と、内面的な感じ方のギャップ」がキーポイントになるのでは、と思ってきた。

持論だが、人間という生き物は得てして社会的に定義された実年齢のイメージと、本人がもつ内面の感覚的な年齢にギャップがあると思っている。小学校一年生の時、友達のダニエルのお姉ちゃんが五年生で、たまに一緒に登下校するとき、彼女をめっちゃ「大人」に感じたのを覚えているが、実際に自分が小学校五年生になったらまだまだ自分の感覚では子供で、今度は中学生が大人に見えた。中学生の時は高校生、高校生の時は大学生、大学生の時は社会人1、2年目が「大人」っぽく見えたのに、いざその年齢になると、全然自分が想像していた「大人」に自分はなっていない。むしろ30手前の今こそそれが顕著に感じられ、まだ自分は全く大人になれている気がしないにも関わらず、自分よりも10近く年下の若者が、世間では(そして法律的にも)「大人」という扱いを受けている。

では、どこで外界と内面の年齢が追いつくのか。正直、完全に追いつくことがあるのかはわからないが(年配の方々と話すときも、「私、自分が今74って信じられないわ」と言ってるので笑)、加速させる装置として一つ、「親になる」があると思う。よく言われることだが、子供ができることにより、ある意味強制的に人間は母親や父親になる。「俺、そろそろ父親になる精神的な準備ができた。さあ子供を作ろう。」と思う男性なんていない。それと同じように、ある意味、社会的に定義された年齢は、様々な強制イベントがない限り、内面への影響を与えられないのかもしれない。そして逆に強制イベントがあればあるだけ、人間は内外の年齢のギャップが埋まっていくのであろう。

ここで前述の二人のおじさん社長について考えてみたい。おそらく「若い」前者の男性は、鏡を見る時、「若いけど、俺もうおっさんだな」と思っているのに対して、「胡散臭い」後者の男性は、鏡を見る時、「おっさんだけど、やっぱり俺って若いな」と思っているのであろう。年頃の娘に「お父さん、なんで大学生みたいな格好してるの?」ってひとこと言われるだけで内外の年齢のギャップは一瞬でうまる*3。そして皮肉にも、実の娘にちょっと嫌味を言われている男性のほうが絶対にモテる。「少年っぽい男性が好み」とアンケートで答える女性たちも、本当に自身を未だ少年だと履き違えている男性がいいのではなく、「年相応」の中に垣間見える少年性が好きなのだ。

一時期「ただしイケメンに限る」と言う表現が流行った。普通だったら男性からやられたら嫌悪感を抱く行為も、その行為がイケメンが行ったものだとしたら許せてしまうと言う女性の心情を表した、世の男性の大半を絶望させた言葉だ。しかし私コミンズ・リオは、イケメンと同じぐらいに「年相応とちょっとのギャップ」は強いと感じている。「ただし年相応だけどちょっとギャップがあるメンズに限る」。なので、20代の女の子にモテたいと思っているそこのおじさま、東京カレンダーを読みふけるのも、カラオケで披露できるように流行りのアイドルの曲と振り付けを覚えるのもいいですが、一番大事なのは「年相応と少しのギャップ」。まずはその謎のアクセサリーから外しましょう*4。

*注記*

*1: ちなみに、これがヒゲを生やし始めた理由である。きっかけはエジプトに行った時に現地人になめられたくないからだったが(結局意味はなく、普通にナメられまくった笑)、結果としては多少はアラサーに見える外見にするためになった。こっちはエジプトよりは成功してる気がする。

*2: ちなみに、ここ数年一緒に仕事をしているヘアスタイリストの友達には現時点で「短パンなんて履くな!だから彼女いないんだよ!」と言われている。彼がとてもおしゃれで女性によくモテ、長ズボン以外履いてるところを見たことない、とは言うまでもない。

*3: なお、若い格好をしているおじいちゃんは例外w あれはあれでただ単に可愛いww

*4: ただ、最後に言いたい。個人的な気持ちだけで言うと、ラッパーおじさんも自身を貫いているから実は嫌いじゃない。周りが見えてないぐらい何かに没頭できていることは、個人的には美しいことだと思う。逆に、一番嫌いなのは「これでいいんでしょ」と言う格好をしているおっさんず。雑誌かインスタかなんかで見た一般的に「おしゃれ」と言われる格好をとりあえず取り繕っているあいつら。イラつくぜ。

…と、書いてることと感じてることが相反するのよね。つくづく矛盾だらけの男だな自分は。

text:
コミンズ リオ
illustration:
Nagi Kamahara
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18-04-02