LEO KOMINZ
結局「白ティーとジーパンでいいよね」じゃないのだ(後編)
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ファッションのアイデンティティー性を語る上で避けては通れない重要でかつ特殊なポイントは、ファッションだけが趣味・嗜好による「個性」が常にみられるところにある。というか、趣味・嗜好どころか、かの有名なマズローの欲求段階で言えば、人間が生きる上で必要不可欠とする根源欲求「衣・食・住」*1の中でも、ファッションだけが外に向けた恒常性が存在する。どういうことか。簡単にいうと、ヌーディストコミュニティーに常に生活でもしていない限り、人間は、入浴しているか性行為に励んでいるか以外*2、必ず服を着ているのである。必ず、絶対、なのだ。なので、当然だが、人間が他人に接するときは必ず服を着ている。そしてこれが根源的に他の欲求や趣味嗜好と違うところだ。人間は常に自分の好きな食事を持ち歩き見せびらかしてるわけはないし、自分の自宅を常に周囲に公開している訳ではない。根源的欲求である食や住居ですらこうなのだから、アイデンティティーを形成する一般的な趣味なぞもってのほかだ。そしてだからこそ、服装とファッションというものは、直接的にアイデンティティーと繋がりやすい。人間はそもそも外部の情報の8割強を視覚から得ており^1、例えば初対面の人間に会うときは、その外見からその人を判断するのが基本だ。そしてだからこそ、コミュニティに置いて個を抹殺するために使われる最も手っ取り早い手段が制服の強要であり(学校では学校制服、会社ではスーツ、刑務所では囚人服、など)、そこから脱出する試みや行為(スカートを短くする、学ランの下に色付きシャツを着る、オーダーメイドのスーツを購入する、など)は直接、いかにコントロール下で自分の個性を出せるかの行為となっている*3。なお、服装とアイデンティティに関する研究や書籍は専門家が山ほど発表しているのでここで深くは追求するつもりはないが、上記でなんとなくさわりの部分は納得できたのではないだろうか。

そこで改めてカップルやベンチャー企業経営者について考えてみよう。カップルの服装が似ているのは、「外に出す自分のアイデンティティー」がさすがに似ていないと、そもそもカップルとして成り立つのが難しいからである。好きな映画や夜食の種類が多少違っていても、それはある意味「隠して」られる。しかしファッションはそうはいかない。同じ「ヒップホップ音楽が好き」という趣味の持ち主でも、上下ユニクロの人もいれば、自分が好きなラッパーの格好に憧れ、キャップを斜めに被り、首からブリンブリンをぶら下げている人もいる。二人の一番の違いは、前者はその趣味を表に出そうと思っておらず、後者は、世界に向けて「俺はヒップホップが大好きなんだ!」と無言で叫んでいることになる。そしてだからこそ、カップルの服装は似ているのだ。二人で世界に向かって何か主張を叫ぶ、という行為にまで至るのだとしたら、むしろそれが似通ってなくては色々大変だろう。ベンチャー経営者の方々も同じだ。インタビューを受ける、という行為自体、むしろ大々的に「私の主張はこうです」という舞台だ。そこであまりにも突拍子もないことは言えないし、それを助長するかのような格好もできない。本人の個人的な趣味がどうであれ。

そしてここで本題に突入する。ファッションに対する希望が全て削ぎ落とされ、ファッションだけで言えば生ける屍のような生活を送っていたコミンズに対して、定期的に投げられてきた言葉が、「白ティーとジーパンでいいじゃん!」だった。主にその時々で付き合ってた彼女からの言葉だったと思うのだが(上記のカップル理論から、彼女からしてみれば彼氏の服装がダサいのは致命的だというのは納得できる)、ファッションに対する熱意が完全に消え失せていた彼氏に対する打開策がこの「白ティー・ジーパン」案だったのであろう。読者の多くも共感できると思うが、日本人の中で一般的に蔓延する幻想の一つとして、「スタイルがいいなら、シンプルな服装でもカッコいいから、むしろそれがベスト!」がある。背が高くて、手足が長くて、身体の凹凸がはっきりしていれば(いわゆる日本人がもつ身体的三大コンプレックス。ここに「顔が小さい」が加わると四天王になる)、わざわざ着飾る必要なんてなく、それこそ白いティーシャツとジーパンでサマになる。前編では「一般アメリカ人のファッションは超ダサい・ダサい・普通にダサいの三種類に分類される」と書いたが、日本人がそれでも西洋人に対する憧れを抱き続けられるのは、結局上記の身体的特徴がゆえだ。ただ人種的特徴という理由だけで手足が長かったり顔が小さかったりする白人・黒人などは*4、本来であれば「普通にダサい」、何一つ特徴のないTシャツとジーパン状態でも、日本人的にはカッコよく見えるのだ。

しかし、だからこそ私コミンズ・リオ、ずっとこの感覚に違和感を抱いていた。確かにスタイルがいい人が微妙なファッションをしてもそれなりにカッコよくは見えるが、だからと言ってその人は「おしゃれ」ではないよね?ファッションが直接アイデンティティーと連動しているのだとしたら、どんなにスタイルがいい人に白ティーとジーパンが似合っていても、結局その人のアイデンティティーは白ティーとジーパンでしかないのでは?若手経営者が世に自分を見せる服装としてみな同じようなものを選んでいるのだとしたら、結局その「同じようなものを選ぶ」がアイデンティティーになってしまうのでは?「スティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグだってシンプルで同じような服装をいつも着ているではないか!」という意見もよく出るが、それは因果関係が逆転しているのである。スティーブ・ジョブスはすでにカリスマ経営者としてのアイデンティティーが形成されていたから、毎回同じタートルネックを着ていてもそれが成り立つのだ。タートルネックがジョブスを形成したのではなく、ジョブスがタートルネックに意味を持たせたのだ*5。

だからこそか、次第に、シンプルやモノトーンの格好をしている人、いわゆる「無難」な格好をしている人を「おしゃれ」と呼ぶのに気がひけるようになった。上から下まで全身真っ黒*6とか、雑誌から「これが今おしゃれ!」をそのまま切り抜きました*7、みたいな人は一見おしゃれに見えても、真のおしゃれではないのではないか?正直申し上げたい…それは私コミンズ・リオがおしゃれだと勘違いしていた高校生の時となんら変わらないのでは?真のおしゃれは、その人のアイデンティティーが宿るものではないのか?赤い水玉模様が見えたらそれは草間和代だし、巨大なキノコ頭が見えたらそれは黒柳徹子だし、くるっと天に向かって曲がった細い口髭を見たらそれはサルバドール・ダリだし、可愛いフグの帽子を被っている人がいたらそれは絶対にさかなクンだ。ハリウッドの超大物プロデューサーのブライアン・グレイザー氏は、個性あふれるロスの映画コミュニティにおいて自分にアイデンティティがなさすぎると感じ、若かりしある日を境に髪の毛をドリアンが如くトゲトゲにしたほどだ。なお、それでパーティなどで必ず「そのトゲトゲ頭はブライアンじゃねえか!」と声をかけられ仕事につながりだしたと言う。そして、これは別に有名人に限ったことではない。人生で最もおしゃれだと思っている人間の一人は実は自分の身近におり、一緒に仕事をしているデザイナーのJくんなのだが、彼と初めて会った時の衝撃は今でも覚えてる。XXXXLぐらいの黒いTシャツの上に、母親が編んでくれたセーターを着て、さらにロンドンのホームレスと交換したと言う色の抜けたジージャンに袖を通し、下のズボン(と言うかスカート?)はイッセイミヤケ、宇宙船みたいな形状の靴と、敢えてそこだけはシンプルな帽子は共にナイキ、という格好で、文章上だと破茶滅茶に感じられるが、実際はものすごく似合ってた。そしてそのセンスこそが彼のアイデンティティであり、彼のデザインと仕事に繋がっている。

なので正直思う。単におしゃれでいうと、「俺は初音ミクが好きなんだ!」といってそれを堂々とTシャツで着ている人のほうが、無難なモノトーンや、「雑誌の格好をそのまま」や、なんなら「白ティーとジーパン」よりはるかにおしゃれだと思う。その人の想いと、嗜好と、主張がはっきりと出ているからだ。しかし、この意見にはかなりのバイアスがかかっているというのもわかっている。なので、最後に、この考えに対する友達の意見を載せたい。

テレビ局時代の同期で現在、ドラマやバラエティの美術セットを作っているM氏。先輩の家での新年会にて今回の文章の内容を口にしたら、彼女は以下のような返答をくれた。「おしゃれかどうかは置いといて、結局それはファッションをアートとして見るのか、デザインとして見るのかだと思う。アートというものは、どんどん加えていくもの。アーティストは、自分の個性をファッションに様々な形で加えているから特徴的な人が多い。万人ウケする必要がなく、ある意味その人のファンがそれを『その人』だと気に入ってくれればいい状態。デザインは逆に削ぎ落としていくもの。デザインという概念そのものが、多くの人に違和感なく受け入れられるという重要性を持つから、多くの場合シンプルになっていく。だからデザイナーとかの多くは、すごいシンプルな格好をしている。アートかデザインかの違いだけで、結局、どっちもその人の『個性』は出てるんじゃないかな?」

どうでしょうか?もう、これ結論でしょう?(笑)ここまで読んでいただき申し訳ないのですが、この最後のM氏の言葉だけ覚えて帰っていただければ幸いです!

*注記*

*1: 一つポイントとして、マズローがあげてる「衣」はファッションではないことには注意。ここであげてる「衣」は単に身を守るために纏う何かを指す。

*2: 着衣プレイはこの際無視する。

*3: ちなみに19の頃、帰国子女枠で受けてた東大入試のエッセイの部分で「制服について自由に書きない」と言われ、上記の内容に合わせて、「それがゆえに制約が強い社会に生きている日本のおじさんこそがナース服やセーラー服プレイを最も好む」と書いたら見事に落ちた。

*4: その分、彼らはすぐ太ったり、禿げたり、顔が皺くちゃになったりもするが(黒人は永遠に若いがw)、日本人はそこについてはあまり考えない。結局は隣の芝生は青い状態。

*5: 以前、歌手のaikoが白ティーとジーパンでで紅白に出る行為が話題になったが(主に、あのようなハレの場所でそれでいいのか!的などうでもいい論争)、有名人は一周回って「普通っぽい服」という逆張りをアイデンティテぃにしているケースは多い。

*6: ストックホルムをはじめとした北欧の男女だけは許そう。彼ら彼女らの「上が黒、下が黒、スニーカーは白」はもはや国民的制服みたいなものなのだから。World in Twelveのストックホルム滞在時、友人から「北欧のホームパーティは大変だよ!帰る時に全員同じコートと同じ靴だからまあわけがわからない」と言ってたほどに。

*7: 日本の女子大生あるある。ネットでよくまとめ記事が上がってますよね、「女子大生7人組、自撮りを撮ったら全員同じ服装だった」事件。

^1:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000040903.html

text:
コミンズ リオ
illustration:
Minami Sakata
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18-04-02