LEO KOMINZ
味覚と性癖のグラデーション(前編)
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2015年の一年をかけ、世界の違う都市に1ヶ月ずつ滞在し、ドキュメントしたプロジェクト “The World in Twelve” を終え日本に戻ってきた際、いろんな人に多くの質問をされたが(一番多かったのは「どこが一番よかった?」という、最も返答に困る、超漠然としたものだった)、たまに尋ねられたのが「どこのご飯が一番美味しかった?」である。私コミンズ・リオ、食べることが何よりも好きだということを知人友人は知っているからか、この質問に対する彼ら彼女らの期待値のハードルは高く、ほとんどの場合は、世界を周り食べた意外なもの、ヘンテコなもの、想像を超えて美味しかったものを答えていた*1。ただ、面白いことに、逆に「一番美味しくなかった場所はどこか?」という質問をされることは皆無で、実はこの質問のほうが、1ヶ月滞在する上では重要なポイントではあるのだ。なぜなら、流石に毎日、日系やアジア系スーパーで買ってきた市販のルーを使って作るカレーを食べるのには限度があるからだ。たとえそれがどんなに現地の食材を混ぜて、バリエーション溢れるオリジナルカレーを実験的に作っていたとしても*2。

このことに気付かされたのは、2017年の秋、エジプトに一週間ほど滞在した時だった。テレビ局時代の後輩がカイロ支局にいたので訪ねに行ったのだが、初日に連れていかれた「ここの食べ物はまだましです」と言われた、ナイル川を見下ろすホテルの屋上のレストランで食べたハンバーガーが、完全に無味無臭だった。翌日、現地のエジプト人の知り合いや友人数人から、コンセンサスとして「ここが一番うまい」と言われたガーデン・シティ地区のレストランが、レバノン料理だったからまだ食えたものの、言っちゃ悪いが人生で食べた一番残念なレバノン料理だった*3。滞在を終え、一応それなりに美味しいハイエンドなエジプト料理屋や、国民的ジャンクフードのコシャリ屋には出会えたものの、総評としては全くもって食の楽しみがない旅だった。

このエジプト体験で、改めて「食」についての質問が脳裏に浮かんできた。なぜ、カイロでのご飯はこんなに残念だったのか?地中海に面している国は、基本的には総じて食文化が豊かである。ヨーロッパで言えばスペイン、カタルーニャ、南仏、イタリアの各州、ギリシャ、中近東で言えばトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、北アフリカでもモロッコなど、世界に誇る美食がこれほどあるのに、なぜエジプトはこんなにご飯が美味しくないのだろうか?レバノンやモロッコは美食国家フランスの植民地だったのに対して、エジプトは「ご飯が美味しくない国」代表とされるイギリス*4の植民地だったからか?しかし食文化は占領以前から存在するものではないのか?*5

そこで、あのホテルの屋上で食べた、無味無臭のハンバーガーを思い出した。そもそも、このハンバーガーを拵えたシェフは、これを「美味しい」と思って作っているのだろうか?シェフなのだから、そこは流石に思っていて欲しい。ただ、その場合、「どうして」そう思えるのだろうか?そこで一つの説が脳裏に浮かんできた。もしかして、全て「色のグラデーション」と同じなのではないのか、というものである。

今や日本食は世界が認める(というかユネスコも認める)無形文化財となっており、世界中の人間が”Oh my god, I LOVE Japanese food!!” と叫んでいる中、よく思うのが「お前が言うJapanese Foodってそもそもなんやねん!」である。具体例を出すと、たとえば、「外国人は本当に出汁の味とかわかるのか?」だ。もちろん、出汁には、これも世界が認める第五の味覚、「旨味」が強く含まれているのは理解しており、「津波=Tsunami」や「可愛い=Kawaii」などと同じように、世界中のシェフがそれぞれの分野で “Umami”の研究に日夜励んでいることも理解しているが、一般的な「日本食が好き」と言っている、たとえば地元のポートランドの(それでも一応アメリカ有数の美食の都市と言われる)一般アメリカ人が出汁を美味しいと感じているとは正直思えない。例として、地元の友達と「アジアンフード」を食べに行くと、彼ら彼女らは、日本食では「うなぎのタレ」への異常な愛を感じたり*6、韓国料理ではプルコギを始めとしたタレのついた焼肉系ばかり頼んだり、タイ料理ではパッタイやココナッツミルク系のカレーなどを注文したりと、基本的に「甘い」ものばかりがテーブルに並び始める。これは結局、「甘い」という、直感的に感じる「美味しさ」のみ頼っているのではないか、と思ってしまう。そしてこれは、酸っぱいや塩っぽいなどの他の味覚*7、「油っこい」などの、人間が直感的に「美味しい」と感じる要素*8にも当てはまる。要するに、確かに天ぷらも寿司も日本食だが、エビの天ぷらを海苔巻きにして、うなぎのタレをかけて食べて「美味しい」と感じているアメリカ人は、日本人が普段食べていて感じている日本食に対する「美味しい」とは明らかに違うものだ*9。

その違いこそが、前述している「色とグラデーション」で答えられるのではないか、と考えている。たとえば、「塩っぽい」を「黄色」だとしよう。単純に言うと、この「黄色」を「濃い黄色」から「薄い黄色」まで、何段階で見られるか、と言うのが「味覚のグラデーション」だ。そこで、例えば多くの日本人はこれを7色ぐらい見ることができ、おそらくでしかないが、一緒に外食しているアメリカ人の友人は3色しかみていない、と言うことにする。日本人が旅行に行き、海外で食べる料理を「美味しかったけど、どれもこれも大味」と言い放ち帰国するのは、色の種類が少なかったから。どの食べ物をとっても、全てが「濃い黄色」だった。逆に、海外の人が日本にきて、「高級な日本料理を食べたけど、味がしなかった」と言うのは、料亭の出した「鱧の土瓶蒸し」的なものが、おそらく「薄黄色」と「超薄黄色」の間だったから。「3色の黄色」で食を楽しんでいる外国人からしてみると、「薄黄色」と「超薄黄色」の違いなんてなく、おそらく「白」、それこそ無味にしか感じられていないのかもしれない。そして、例に習って、甘さを青色、苦味を赤色、として行くと、それぞれに置いて7色のグラデーションを持つ人と、3色のグラデーションを持つ人が「美味しい」と感じ取れる食の幅の違いがわかるであろう*10。それこそ、昔のブラウン管で見てたテレビと、今の最新の4K映像の違いぐらいはあるはずだ。

こう書くと外国人に対してとても差別的で、いかに日本人が外国のかたより味覚が優れているか、と言う論理に聞こえるかもしれないが、言いたいことはそこではない。そもそも、上記で書いたように、食文化の豊かな国は世界中にたくさんあり、日本人に限らず色々な食を楽しめる人はたくさんいる。また、食のグラデーションは鍛えられるものであり、生まれ育ちはピザとハンバーガーしか食べてこなかったアメリカ人が、様々な経験をへて、「納豆と塩辛が大好物」と感じられるようになる例をいくらでも見てきている*11。さらに、正直申し上げると、日本が世界一の美食国家であることはあらゆるデータで証明されており、東京にあるレストランの数、ミシュラン星獲得店の数、世界中のスターシェフが日本に修行・勉強にきている事例、「母国以外で母国の料理を食べるとしたら、絶対に日本が一番美味しい」と言う、一般外国人だけではなく食のプロたちの言葉など、例をあげればキリがない。ここまで食にこだわる文化があると言うことは、一般的に見ても、社会全体の味覚のグラデーションが豊かだと言うことだと言える。

ただ、繰り返すが、言いたいことは、日本人の味覚のグラデーションがいかに他国に比べて豊かか、と言うことではない。これは一つの例でしかなく、逆に言うと、日本人は味覚のグラデーションの豊かかもしれないが、他の主観要素の強い感覚ではグラデーションは乏しく、他国のほうが豊かかもしれない。そしてだからこそ取り上げたい感覚が一つある。性癖だ。性癖のグラデーション、これぞ長年私コミンズ・リオを悩ませてきたテーマであり、Part.2で詳しく述べて行きたいテーマだ。

*注記*

1: 詳しく書くとそれ自体がエッセイになるので羅列にとどめておくが、ガイアナ人のシェフのホストが作ってくれた、バナナと里芋とワカメの「カリブ海のスープ」や、酒が飲めない人が酔っ払った気持ちになれるよう振舞われる、ブラジルで飲んだ「謎のアマゾンの果実のジュース」や、トルコ人の飲み会の〆のソウルフード、内臓と牛乳と酢の「イシュケンベスープ」などが思い当たる。

2: ヨーロッパでは、日本では高価なズッキーニやシャンピニョンマッシュルームなどが安いので、一気に日本感覚的にはゴージャスなカレーになる。また、現地のスーパーで見つける謎の野菜を入れるのも楽しいが、リスクもある。

3: 逆に人生で一番美味しかったレバノン料理は、メルボルンの花屋で出会ったレバノン人の女性がホームパーティで友達のレバノン人たちのために振舞った、手作りレバノン料理だった。トルコから南下する地中海周りの人間はアホみたいにシリア・レバノン料理を絶賛するが、あの手作りを食べると納得せざるをえない。

4: よく「イギリスのご飯はまずい」と言われるが、ことロンドンに関しては、世界で有数のご飯が美味しい都市だと感じた。インド、ベトナム、韓国などのアジア料理は移民が多く、移民街で食べるとむしろ感動するレベルにも当たる。結局美味しくないのはフィッシュ&チップスなどの「イギリス料理」なのであって、「せっかくイギリスにきたから」という理由で観光客はこれらばっかりを食べるので、「イギリスはご飯が美味しくない」というイメージになるのである。

5: しかし、エチオピアやソマリアでは現地の料理(例えばエチオピアの場合はインジェラ)以外ではパスタをよく食べるので、やはり植民地の影響は大きいとは言えるだろう。

6: 醤油瓶と同じサイズの瓶にこのうなぎのタレが入ってるので、要するにかけ放題なのである。寿司にこのタレをこれでもかというほどかけている人を見ると、正直心が荒んでくる部分はある…。

7: 味覚の定義:甘み、苦味、酸味、塩からさ、そして旨味。これが味覚の定義である。なお、「辛さ」も含まれてるとよく勘違いされるが、実は辛味は味ではなく、痛覚。舌が痛がっているのだ。要するに辛いの大好き、なんでも辛くしちゃう、平気で10辛とか言っちゃう彼ら彼女らは、シンプルにドMなのである。

8: 人間が生物として生きていくのに必要とされる要素は、直感的に美味しいと感じるようにできている。三大要素は糖分・塩分・脂質。しかし、これらは実は摂取しすぎるのもよくない。このことについて面白く書いている本が「イギリス一家、日本を食べる」の沖縄についての項なので、ぜひ興味がある方は読んでもらいたい。

9: リオデジャネイロにいた時は、マンゴーとクリームチーズ入ってた寿司が出てきて、現地の人たちはこれをうまいうまいと食っていたので、もはやこれは「お寿司って美味しいよね」と言えるのかと悩んだレベルだった。

10: 「感じ取れる」ことが必ずしも「美味しいと思える」ことと同じではないのだが、それはについては part.2で詳しく触れる。

11: ちなみに、外国人が日本で聞かれる質問トップ3に「納豆食べられる?」が入ってると思う。それだけ日本人は納豆を食べられることにプライドを持っているのであろう。しかし、肌感覚だが、日本にそれなりに長く住んでる外国人はほぼ全員食べられ、逆にしてやったり感で「ええ、食べられますとも。大好きです」と返答する。なお、質問をしているのが年配の方だと、この返答にすごく悔しい表情を見せたりするので、このやりとりは毎回見ていて面白い。

text:
コミンズ リオ
illustration:
Nagi Kamahara
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18-04-02