LEO KOMINZ
私の旦那は仕事ができる
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30

年齢が30に近づいて来ると、悲しいかな飲み会一つで繰り広げられる会話が妙に現実色が強くなる。仕事、趣味、そして特に恋愛。その中で女性は、「現実的」というカテゴリーに置いてはあらゆる要素で男性を遥かに凌ぐので、彼女らの話にはもはや仮定や夢想がなくなる。リアリズムまっしぐら。また、その中でもさらに現実思考の最上位に居座る女性は、「先日彼氏と別れたばかりの女性」である。このポジションのアラサー女子との会話はもはやカウンセリングの域に達している。大抵こんな会話になる。

女性:もう、早く次の人見つけなきゃ。私もうこんな年齢よ!

リオ:いや、何もそんな焦らなくても…だってこの前別れたばっかりでしょ?

女性:そんなこと言ってられないの!子供は二人欲しいのよ。下の子を32で産むって考えても、上の子は間を最低二年開けて30でしょ。ということは29で妊娠、28で結婚…プロポーズされてから式をあげるまで半年から一年はかかるとして…ああ、来月もうすでに相手見つけないと計画から遅れる!

リオ:いやいやいや、さすがに極端だよ!そんな急ぐ必要なくない?てかそれ以前に、「相手」っていうけど、どんな人がいいとかあるの?

女性:え、どういうこと?

リオ:いや、だから、仮定で「結婚相手」とか言ってるけどさ、なんか条件とか理想とかあるのかな、って。

女性:もうこんな年齢だし、多くは望まないわ。外見とか働いてる会社とか。ただ、絶対に「仕事ができる」人じゃなきゃだめ。

リオ:…。(無言で紅茶をすする)*1

この時毎回頭の中で繰り広げられている疑問が「あんたが言う『仕事ができる』ってなんやねん!」だ。別に失恋中のアラサー女性に限ったことではないが、この「仕事ができる」「仕事ができない」と言う表現こそ日常的にあらゆるシチュエーションで使用されながらも、誰もちゃんと定義づけしていない、まさにエッセイのテーマとしてうってつけなものだと思う。読者の皆さんも仕事や飲み会でよく使っているのではないだろうか。

僕自身はこの表現に対して、初めて聞いた瞬間から違和感を持っていた。憧れの先輩や上司に対してのメロメロを隠せずに「〇〇さん、本当に仕事ができるのよね」と夢見心地に語る新入社員や、「あいつもう三年目なのに、マジで仕事できなさすぎてイラつく」と、後輩の「あいつ」のせいで増えた残業を終え、焼酎を飲みながら愚痴る友達などを見ていると、毎回疑問に思う。おそらく「仕事」に対する「できる・できない」の定義は完全に人それぞれなのだろうが、それだと表現としての価値は実に曖昧になる…と言うか自分がモヤモヤする。そこでとりあえず考えて見た。

①出世する・している人

最初に思い浮かんだのは出世だった。自分の中の勝手なイメージだが、仕事ができる人は出世している。なぜなら、世の中のほとんどの企業では、仕事で成果をあげられる人=会社にとって利益を作れる人であり、会社にとっての一番の価値なので、それに対する報酬として出世・精進が与えられる*2。しかも、これは失恋したアラサー女性の考えと一致する。これから結婚したいと思っている相手が出世頭だったらこの先の人生安泰だ。一緒に家族を作る相手の条件として最初に上がってきてもおかしくない。

しかし、さらに考えてみると、ある矛盾点が見つかる。「仕事ができる人→出世する」は成り立つが、「出世している人→仕事ができる」と言う因果関係が結べないのだ。読者の皆さまも思い返して欲しい。あなたの会社や職場にも一人はいるはずだ、「こいつ、一体どうやって部長になったんだ…?」と日々思う人間が。そう、どう形容しようとしても「仕事ができる」とは言いがたい人間が出世している事実。これは日系企業あるあるだが、高度経済成長から今に続くまで、一定レベルで「誰にペコペコするかを的確に判断できている人」や「単純に人がいい=敵がいない人」が、その仕事能力の有無問わず出世している。よって「仕事ができる」とは必ずしも出世のみの話ではないのだ。

②仕事を作れる人

次に考えたのが、自分自身の「仕事のできる」の定義だ。こう言う性格・仕事をしているのでお分かりだと思うが、僕自身は「仕事を作り出す」ことができる人が「仕事ができる人」だと思っていた。別にクリエイターとかに限ったことだけではなく、例えば会社員でも、自分がたてた企画をちゃんと実行する能力を持っていたり、営業だったら新規のお客さんを見つける能力に長けていたり、管理職だったら既存とは違うチームのマネジメント方法を試して見たりと、いくらでも例はある。

ただ、この定義にも穴があった。こういった「仕事を作る」という行為は、一般的に「0→1」と言われるが、同時に仕事には必ず「1→100」が存在する。知人に一人、東大在学3年生時に国家一種試験に合格し、4年時には英語のクラスの臨時講師まで行っていたズバ抜けて優秀な奴がいたが、彼は自分のことを「生粋のルーティンワーカー」と読んでいた。確かに、一緒にチームを組んで彼の作業を見てみると、膨大な量のデータを効率よくテキパキと処理したり、周りのメンバーのアイデアをまとめる能力がすごかった。彼自身は何かを生み出してはいなかったが、確実に「仕事ができる」人間だった。

③やる気がある人・責任感が強い人

逡巡した結果、最後に思いついたのが「やる気がある人・責任感が強い人」だった。10年近く社会人をやっているとおそらく誰もが気づく事実が、意外にも仕事に置いて「頭脳の優秀さ・頭の良さ」は関係ないこと。それより、仕事に対してやる気があるか、仕事をちゃんとやり遂げようと思う責任感があるか、これらのほうが重要だったりする。世の中のほとんどの仕事には納品納入の期限やクオリティの基準値があり、また仕事というのは会社が潰れでもしない限りは永遠に新しいものがやってくる。その中で、能力的には100mを10秒で走れるが、その日の気分によって走るかどうかもわからない人より、必ず何があっても安定的に11秒を走る人のほうが会社としては重宝する。この定義に矛盾点は感じないのだが、ただ、アラサー女性が言う「仕事ができる」にはこの「やる気」や「責任感」の存在は感じられなかった。そんな泥臭い定義よりも、もっとスマートでおしゃれな雰囲気が漂っている気がした。

そこはもはや迷宮だった。「仕事ができる」と言う名のラビリンス。堂々巡りを繰り返し、もう八方塞がりだと諦めかけたある日、動画の編集に勤しむあさぎーにょ*3に話してみた。あさぎーにょ、「仕事ができる」とはなんぞや?そこで彼女は彼女らしいシンプルな答えを返してきた。

「リオさん、そんなの簡単ですよー。だって自分の旦那さんが会社で怒られたりとか周りから陰口されてたりしたら嫌じゃないですか!」

その答えを聞いた瞬間衝撃が走った。そうか、そう言うことだったのか!!「仕事ができる」という言い回しは、女性がさりげなく日常で使用する得技の一つ、「本当の意見は表現がきついから同じことを逆に言ってやんわり伝える」戦法の一部だったのだ。要するにこうだ。アラサー女性は「仕事ができる」人がいいのではなくて、「仕事ができない」人が嫌なのだ。「仕事ができない」は「仕事ができる」と違い、定義はしやすい。単純な凡ミスを繰り返す行為や、コミュニケーションが下手で仕事上のロスを被るなど、具体例もあげやすい*4。「仕事ができない」ことにより、上司に怒られたり周りにいじられたりする人とは結婚したくない。けれど、「仕事ができない人はいや」と言うと、否定をしているようでイメージは悪い。よって、「仕事ができない人はいや」とニアリーイコールの「仕事ができる人がいい」と言っているのだ。

全て腑に落ちた。ありがとうあさぎーにょ。危うくまた女性の言葉のオブラートに騙されるところだった。これではっきりと言えるよ、「結局お前らいつも打算的じゃねーかよ」ってね…まあ、これこそ「仕事ができない」男の僻みなのですが。(笑)

*注's!!*

*1:完全に余談だが、この未婚・少子化時代に子供を二人欲しいと言っている時点で素晴らしいとは思っている。また、なんだかんだ経済的に恵まれている人が周りには多いという証明でもある。

*2:年功序列・終身雇用システムの日系企業では恐ろしいほどにこのモデルに成り立ってないところも多いが、今回はそれは無視。

*3:今となっては売れっ子YouTuberになってしまいましたね。気になる人は検索してみて。

*4:この部分を深堀りすると色々と面倒になるので本編では割愛したが、この「仕事のできない」も「やる気・責任感」に繋がっている事実は否めない。いつも確認することを忘れてしまい凡ミスが多い人なのか、「この仕事どうでもいいや」とやる気がなく、確認しなくてはいけないどわかっているが無責任にも確認を行わず凡ミスが起こりやすい状態を作っている人なのか。結果としてはどっちも凡ミスをする人材なのだが、やはりベースが違う。また、後者は「能力があるのに勿体無い」などといった理由で周囲からいじられず、よって「仕事ができない」のレッテルを貼られなかったりするのでなおさらタチ悪い。マネジメントって大変。カーネギーの「人を動かす」でも読んでくるか。

text:
コミンズ リオ
illustration:
peeeeechan
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18-04-02