LEO KOMINZ
結局「白ティーとジーパンでいいよね」じゃないのだ(前編)
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「井の中の蛙」という表現を初めて知ったタイミングはさすがにいつだったか記憶にないが(おそらくなんらかのスポーツ漫画を読んでた時であろうが)、実際にそれを体感した瞬間はいまだに覚えている…そう、それは日本の大学に通い始めた時だった。実は私コミンズ・リオ、それまでの人生では「おしゃれ」な部類に属していた。それもそのはず。なぜなら、アメリカのオレゴン州ポートランドの郊外で育った身としてはその部類に入るハードルは極めて低かったからだ。高校生の女性の基本的ファッションが、下からUGGブーツ、アバクロのジーパン、キャミソール、アメリカンイーグルのパーカーで、男性の基本ファッションが下から凡庸なナイキかアディダスのスニーカー(そこはポートランドなので)、アバクロのジーパン、スケーターブランドのTシャツとパーカー、というのが我が母校サンセット高校の現状。そんな中、ポートランド市内のチャイナタウン付近までと足を伸ばし、ストリートファッションを輸入している日本人オーナーのセレクトショップ「Just Be: Compound」でStussyやXtraLarge、LRGやHUFなどを購入し身にまとい、eBayを駆使して限定色のエアジョーダンを手に入れ(今思えばおそらくあれらはパチモンだったが)校内を闊歩すれば、たちまちおしゃれカースト上位に入ったのだ。ひねくれた性格がゆえ全くもってイケてるグループには入っていなかったものの、高校の公式チーム*1でバスケをしていたことのおかげで多少はスクールカーストの上層部との接点があったので(結局どの国でもスポーツをやってる奴らが上位層よね)、たまに「おいリオ、お前イカしてるじゃねーかその格好!どこでその〇〇手に入れたんだよ?」と聞かれたりした。カースト最上層部に所属する、いわゆる海外ドラマに出てきそうな学年を代表する金髪美少女と同じ授業を選択しており、「今日、バスケの公式戦なんだってね」と声をかけられるも(なぜか「試合の日は学校代表の選手はスーツを着る」という伝統が我が校にあり、ゆえに周囲から一目瞭然だった)、普段接点がなさすぎて緊張でドギマギしながら「あ、うん…」しか言えなかった中二病全盛期のリオ青年からすると、この「お前ら全員束にしたより俺がおしゃれだ!」というのは一つの抵抗であり、優越感に浸れる数少ない部分だったのだと思う。

その優越感はニューヨークの大学に進学した後も続き、今度は当時アメリカに進出したばかりのファストファッションのH&Mや、それに類似したニューヨークに旗艦店を置いていた数々のお店を周り、それまでのストリートファッションと混ぜることにより独創性を出していった。真性ファッショニスタとして大学一年の冬休みにポートランドに凱旋(帰郷)した時には、高校時代の友達からは賞賛の嵐に見舞われ、「そのコート、どこで買ったんだよ!超カッコいいじゃん!」と散々褒められたのを覚えている。しかし今振り返ってみると、それが頂点だった(そして有頂天だった)。ファッションに関して、完全なるトップ層とは行かなくても、年齢と収入的にはそれなりに理解(わか)ってて、それなりにイケてる部類に入っていると、自信に満ち溢れていたピークだった。

日本に到着し、大学に通い始めてからは、その天狗の鼻がへし折られ、プライドという土台が足元から崩れ始めるのには時間がかからなかった。文学部に通っていたという事もあるのだろう、目をみはるおしゃれピーポーが日に日に出没してくる。「その帽子…って、それそもそも帽子なの?どういう形なんだ一体?あ、ツバはないのね、了解(どうみても中世の道化師ぐらいしか被ってなさそうな形なんですが…)」「え、なに、毛布着て学校きてるの…あ、ポンチョ?ポンチョね、はいはい…。(ポンチョってアンデス山脈のラマ農家以外着るものなの?)」「それ、前後ろ反対じゃない…あ、そういうデザイン?だよね、そうだよねー。ブランド、〇〇だもんね…。(聞いたことない…ググってみたら、あれで4万7000円??)」…そう、これが日常茶飯事である。次第にプライドという土台は完全に砕け散り、土砂となり流され、海の藻屑となっていた。そこで気づいたのだ。自分がおしゃれだと思っていたのは本当の意味ではおしゃれではなく、ただ単に流通経路を把握していた、ということだけだったのだ。そこに真の個性があったのではなく、既存にある形をただなぞっていただけだったのだ。読者もアメリカに行ったことがあればご存知だと思うが、アメリカ人は、ファッションやエンタメなどの業界に属する極一部の人間以外は、服装的に言えば「超ダサい」・「ダサい」・「普通にダサい」の三種類しかない。それに比べたら、既存の形をなぞっていただけの自分は相対的にはおしゃれだったが、総勢数千万人が毎日行き来をする大都会東京の中で日常を過ごす日本の大学生*2のおしゃれ層に比べれば、それはプロ野球で何年も二桁勝利をあげている投手vs区の草野球チームでベンチに座っている普段は中小企業の総務をやっているおじさんぐらいの差がある。そう、文字通り「井の中の蛙」だったのだ。

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屈辱の敗北を味わってからは(実際は試合にすらなってなかったが)、ファッションに対する熱は完全に消え失せた。元々がオタク体質なので、こだわるものには超こだわる代わりに、興味がないものには完全に無頓着、という性格があらわになり、正直大学時代に何を着ていたのかは今も思い出せない。おそらく、敗北を身に纏うように高校時代の服をそのまま着続け、なんならそれを証明するかのように、今でも高校の時に着ていたTシャツを持っていたりする。だが、自分で追求する熱を失ったからか、「ファッション」という概念に対しての興味は増えていった。特に、個人的に「本当におしゃれ」だと感じていた人には尊敬(もはや畏敬?)の念を覚えた。それこそ、県大会ではいいとこまで行ったけどプロには程遠かった元高校球児が、その時対戦してのちに甲子園で活躍しプロになった相手を今では応援するかのように。そして日常的にファッションに対する洞察を深めて行けばいくほど、色々な点が目についていった。

例えば、なぜカップルは同じようなファッションをしていることが多いのか?金沢にある21世紀美術館のチケットカウンターの列に並んでいた時に気づいたのが、一緒に並んでいるカップルたちのうち、異様に彼氏・彼女で似ているのが大多数だったのだ。観光スポットなので、おそらく日本中から人が集まり並んでいたのだが、Bボーイ風なカップル、オタクっぽいカップル、水商売をやってそうな服装のカップル、ユニクロと無印良品で間に合ってますカップル、など、その種類は実に多種多様だった。しかしファッション自体は多様だったのにも関わらず、彼氏・彼女自体は必ずと言っていいほどお互いに似ていた。彼氏はバンダナを被り初音ミクがプリントされたヨレヨレのシャツに短パン、靴下はひざ下までの超ロングに対して、彼女は女優帽にニットワンピにマルジェラの足袋ブーツみたいなことは基本的にない*3。「そりゃそうだろう、趣味が全然違うんだから」というのは確かに正しい理屈だが、この理屈が当てはまるのは実はファッション以外あまりない、というのも面白い。食事の好き嫌いが違ったり、休日の過ごし方が違ったり、好きな動物が違ったり、映画・テレビ・漫画などの娯楽の趣味が違っていても付き合ってる人は数多くいるのに、ファッションだけは似たり寄ったりになる。なんなら、こんなに、明らかに趣味嗜好が違う人たちが、みんな「せっかく金沢にいるんだし、21世紀美術館に行こう」とは思っているのだ。

同時期によく疑問に思っていたのが、IT系の経営者の服装だった。新進気鋭の会社の経営者たち、主に20代後半〜40代前半の彼らがインタビューとかを受ける時の服装が、6:3:1ぐらいの割合で「Vネックの白いTシャツの上に黒か紺のジャケット(経営・営業・対投資家勢)」:「グレーのパーカー(エンジニア上がり勢)」:「スーツ(無難勢)」となっており、いつも疑問に思っていた…「なんでこんな決まりきっているの?」。ベンチャー企業の経営者の多くは、いわゆる普通にいい企業で働いて出世していく、という日本社会のエリートモデルにそのまま乗っかれない「逸脱の精神」を持っている人が多く、それがプライドとなっている人も同数に多い。「毎日スーツ着るなんて俺には無理だぜ…」の信念を抱き、私服の自由度と自己表現性を謳いながらも、結局着てるのは同じような服装ばかり。タンポポとペリカン柄のワイシャツとか、片方ショッキングピンクで片方蛍光グリーンの淵の太いメガネとか、素材が銀メッシュとチェーンメールのスウェットとかでインタビューに登場した経営者なんて見たことない。「そりゃ、そんな格好したら投資家や株主から『こいつ大丈夫か?』と思われるし無理だろう」というのは確かに正しい理屈だが、独創性や社会に一石を投じることにプライド(と多くの場合はビジネスモデル)を置いている人たちがこんな普通の格好をしているのはある意味矛盾なのではないか、と正直思っている。

そう、読者はもうお気付きであろう。これはアイデンティティーの問題なのだ。21世紀美術館に並ぶカップル達も、若手ベンチャー経営者達も、ファッションに置いては結局アイデンティティーに直面している。これについては、タイトルにあるのにも関わらず今回全く触れていない「白ティーとジーパンでいいよね」問題と一緒に、後編で深く考察していきたい。

*注記*

*1:あまり知られていないのだが、アメリカには部活がない。高校のチームに所属するためにはトライアウトを受けなくてはいけず、うちの高校の一年生チームのトライアウトは12人の枠に90人近くが受けてた。それが故の、高校代表として選ばれた生徒はカースト上位の存在であり、それが故の、屈強なガタイの白人と運動神経の塊の黒人の間におそらく腕が長いという理由だけでチームに入れた、アジア人の血が入った自分の場違い感だった(笑)

*2: こちらもあまり知られてないが、アメリカのほとんどの大学は地方都市にキャンパスがある、もしくはド田舎にキャンパスを置き、その周りに小さな町が出来る形をとっている。ニューヨークやボストンなど一部の都市には大学が多いが、これは実はまれなケースである。

*3:なんなら全然おしゃれじゃない人とおしゃれな女性が並んでたら、「…お金の関係かな?」と思ってしまう我々がいる。

text:
コミンズ リオ
illustration:
Minami Sakata
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18-04-02