LEO KOMINZ
【妄想心境】ゲイ&ケイ 〜二番論〜
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ある重大なイベントや世界を揺るがす事件、それまで見たことも想像もしたこともないような珍事などが起きる場合、その瞬間の記憶だけはどんなに時間が経っても鮮明に覚えている、ということがある。年配のアメリカ人にこの話をすると、まず出てくるのが「ジョン・F・ケネディが暗殺された日のことはまるで昨日かのように覚えているぞ!」で、そこに続くのが「キング牧師が暗殺された日〜」「ジョン・レノンが暗殺された日〜」などと、悲しいかな、暗殺のタイミングばかりである。それもそのはずで、やはり世界を揺るがす事件や珍事の多くはなんらかの形で巨大な不幸や悪が現実に突如現れたケースがほとんどだからだ*1。私コミンズ・リオの短い人生でも、やはり記憶に残っているのは「9.11:同時多発テロ事件」と「3.11:東日本大震災」の二つで*2、9.11はたまたま日本に来ており、中学生だった自分は両親とニュースを見ていて、突然画面が世界貿易センタービルから煙が出ている生放送に切り替わったのを覚えている。3.11は逆にアメリカにおり、ボストンからポートランドに到着した直後で、家でご飯を食べていたら突然、高校を卒業して以来連絡していなかったようなアメリカ人の旧友から一斉に「お前大丈夫か?生きてる?」とメッセンジャーで届いたので、これはおかしいぞ、とテレビをつけたのを覚えている。この文章を読んでいる読者も、それぞれ似た形で、鮮明にその瞬間の記憶が残っていると思う。

しかし、事件や災害だけではなく、ポジティブなことももちろんある。スポーツがいい例だ。自分の場合は圧倒的に地元のNBAチーム「ポートランド・トレイルブレイザーズ」に纏わる記憶になる。チームの命運を変えるレベルの選手が2人もいると言われた2007年のドラフトで、総合一位指名権を獲得した時は、あまりの嬉しさに文字通り家から飛び出し、芝生の上をずっとでんぐり返しをしていた。「あんた、大学からの合格通知来た時もなんの感情も見せなかったのに、一体どうしたの?」と訝しんでいた母のことを今でも思い出すが、それ以上に、チームの命運を変えるはずだった一位指名でドラフトしたセンターがその後怪我ばかりで早期引退したことが、おそらく人生で一番嬉しかったこの瞬間に泥を塗っている。そしてもちろん、2010年代に入ってからは、スーパースターポイントガードのデイミアン・リラードのNBA史上に残るブザービーター二本ももちろん覚えている*3。

バスケからは離れるが、陸上競技に関して、オリンピック期間である二週間強以外はさほど興味を持ったことがない、と言うのはおそらく多くの人がそうだと思うが、そんな自分も、2000年代後半のウサイン・ボルトの登場によってそれは変えられた。なんとなく見ていた2008年北京オリンピックの100メートル決勝で、まるで中学の大会に出場した大学生かのように他の選手をごぼう抜きにしたボルトは、視聴者として一言、「俺は一体何を今目の当たりにしたんだ…?」と思わせるほどだった。しかも、その時は、フィニッシュラインを超える直前に周りを振り返ったことにより、ボルトは最後までは全力を尽くしていなかったのだ。手を抜いたのに世界新記録。一体全体どんなバケモノなんだこいつは…?ボルトが本気を出したら一体どんなタイムが飛び出るのか?…と世界が注目した中、翌年2009年にベルリンで世界陸上が行われた。自分の人生の中で、唯一の、「やばい、世界陸上が楽しみ!!」と言う時期だった。そしてワクワクしながら迎えた100メートル決勝。今度のボルトは最後まで本気だった。結果としてボルトは、本人が持っていた世界新記録をさらに縮め、前人未到の9.5秒台を叩き出した。それはあまりにも偉大な記録であり、優勝と世界新の喜びを、ボルトの今やトレードマークとなった両手を天に向かって斜めに指差す行為に目が行った…はずだったのだが、実は全く違った。レース直後、目が離せなかったのはボルトではなかった。二位に入った、タイソン・ゲイに視線は釘付けになっていた。

タイソン・ゲイは、2007年の世界陸上で100メートルを優勝している、世界屈指のスプリンターだ。2008年のオリンピックは準決勝で敗退していながらも、翌年の世界陸上では「前大会王者」と言う形で、ウサイン・ボルトにリベンジを図っていた。世界陸上の決勝でも、4レーンと5レーンと、「世界最高峰のライバル」という形で2人は並んでいた。そしてこの決勝で、ゲイは見事に結果を残したのだ。9.71秒の自己新記録含めアメリカ新記録*4。人口が3億人以上いる、スポーツに費やすお金で言えば、メディアからトレーニングから医学から施設まで、世界でダントツで他国の追随を許さない、数々のスーパースプリンターを生んできたアメリカの長い陸上歴史の中で、一番足の早い人間にタイソン・ゲイはなったのだ。しかし、だ。しかし、それでも、ウサイン・ボルトとは0.13秒差もあったのだ。0.01秒タイムを縮めるのに血反吐を吐くような努力が必要な陸上短距離の世界で、人生で一番のタイムを残したゲイの前には0.13秒の壁があったのだ。そして、実際にレースを終えたタイソン・ゲイの表情は、自己新とアメリカ新で世界で二番目に足の速い人間になった男の顔ではなかった。

そこで妄想が捗った。タイソン・ゲイは一体どういう心境なのだろうか。「運動会の主要種目」から「バスに間に合うため」まで、「雨が本降りになり始めた」から「銀行がもう閉まるから」まで、人間なら世界中の誰もが一度は体験している、「かけっこ」や「全力疾走」と言う行動の中で、彼はダントツで速かったのだ。もちろん、陸上の大会での好調不調はあるので、毎回毎回優勝してきた、などではなかろうが、基本的には、生きている中で、「俺より速いやつはいない」と思ってきたはずだ。自分の走りが絶好調の中、圧倒的大差で、目の前を誰かが抜き去っていく、と言う経験は、それまでの人生ではなく、これからも絶対にないはずだったのだ。しかし、それが起きた。しかもカリブの小さな島国出身の、元々は200m専門の、数年前に初めて「100mも出場してみるか」とやり始めた選手に。

どう言う心境になるのだろう。圧倒的に自分が一番だったはずのものが、ある日、突如として変わってしまうと言う状況。しかも、自身の老いとか怪我とか劣化とかではない。全盛期の、100%の自分をぶつけたのにも関わらず、まるで歯が立たないと身を以て体感した時の心境。絶望するのだろうか。もう十分やり尽くした、辞めどきかもしれない、となるのだろうか。タイムでは勝てなくても、相手の不調な時もあるだろうから*5、直接対決で一度でも勝てればいい、と思い始めるのだろうか。それとも愚直に、あのタイムだって、9.58だって、もっと努力すれば、いつか、俺だって絶対に超えてみせる…!と顔を上げ、自身を奮い立たせ、明日に向かって生きていくのだろうか。こればっかしはわからない。圧倒的一位だったものが、さらに圧倒的な存在の登場により二位になる、と言う、全世界を見てもほとんどないような事例を経験したことのある、数少ない稀有な存在の彼ら・彼女らにしかわからない。

これは言うなれば「二番論」。そして二番論を語る上で必ず出さなきゃいけない存在が、ゲイならぬケイ、そう、かの有名なスーパーコンピューター「京」だ。2009年の政権与党・民主党が内閣府に設置した行政刷新会議(事業仕分け)の文部科学省予算仕分けの際に、計算速度世界一を目指す次世代スーパーコンピュータ「京」の研究開発予算267億円の妥当性を審議した。そして、その時の質疑の担当をしていた蓮舫議員が、「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」と問うた、「世界一どころか、何かで一番を目指す全ての人間に対する冒涜」としてマスコミから2チャンネルから学校やママ会までを賑わせた、あまりにも有名な台詞が、この「二番論」に繋がる。今でこそ、かの蓮舫議員に当時近かった人にその後会った際にその真意を説かれ、「世界一になる必要性についてではなく、何百億円ものお金をかけてまで、世界一になることと二位であることに差はあるのか?その差から生まれる技術に本当に対価はあるのか?」と言う意味だったことはわかる。しかし、である。どちらにせよあまりにもトンチンカンな発言ではないか?その真意だとしたら、他にいくらでも言いようがあったはずだ。「二位じゃダメなんですか?」はどう考えても、人生に置いて何一つにも「一位」を目指してこなかった人しか言えない台詞ではないか。

再び妄想する。妄想の中に、タイソン・ゲイのあの表情が再び浮かんでくる。あれが「世界一にこれだけ近いのに、あまりにも遠い二番」の顔だ。日進月歩のITの分野では独走状態のアメリカと中国のスーパーコンピューターと戦い、想像でしかないが、エンジニアや技術者たちの血と汗と涙の結果世界一に輝いた「京」に対して、「二位じゃダメなのか」発言。しかも相手は政府。その代表は、元タレントの、厳しい表情が特徴の綺麗目な議員。予算を数百億円カット希望。どんな気持ちになるだろうか。おそらく、全員がタイソン・ゲイと同じ表情だったであろう。

奇しくも、どちらも2009年の出来事。あれから10年経って、別に自分の中に二番論に対する答えは出ていない。唯一わかることは、高校生の頃に書いた人生で初めてのエッセイ、SMAPのバカ売れ曲「世界に一つだけの花」に対する超反論アンチテーゼの結論と同じで、「一番を本気で目指しているもののみ、結果一番になれなかったとして、『二番でもいい』とか、『みんな違ってみんな特別』と言っていい。そうじゃないやつにとってそれらの言葉は逃げや言い訳にしかならない」に帰結する。そう、タイソン・ゲイのあの表情、京に関わっている数々の人間のあの表情こそが勲章なのだ。あの表情にたどり着けるぐらいまで、自分を含めて多くの人間が努力してこそ、初めて社会はよき方向に変わり、前進していくのであろう。

*注記*

*1: ニュース性が高いものも不幸が多い、と言うのもある。New York Timesでは「世界中で起きた素晴らしいこと」のニュースレターを一時期毎週配信していたが、それすらいつの間にか無くなっていた。悲しき現実である。

*2: 本当はこれに加え「ドナルド・トランプ当選の日」もあるが、もはやそれについては思い出すだけで吐き気がするのでここには書かない。

*3: ヒューストン・ロケッツ相手のは、テレビ局時代、残業で夜遅く会社に残ってて休憩がてら試合を見てた。シュートを決めた瞬間、思わず叫んでしまって、同じく残業で残ってた人たちがビクッてなり、こちらを見てきたのを覚えてる。オクラホマシティ・サンダー相手のは渋谷のカフェにいるときだったが、前回の経験があったからか、あまりの衝撃にあんぐりしたものの、絶叫しないようには気をつけられたw

 

*4: ちなみにゲイは同じ年の上海大会にて9.69秒という、人類二番目に早いタイムをだしている。

*5: 実際にボルトの4番以降のタイムよりは、タイソンゲイのベストタイムのが速い。一つの大会でのお互いの調子の上げ下げだけを考えたら、ゲイがボルトに勝つことは全然現実的な話なのだ。

text:
コミンズ リオ
illustration:
orikata
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18-04-02