LEO KOMINZ
バスから見える世界
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読者のみなさまが「西麻布」という地名を聞いて何を連想するかはわからないが、おそらくは「小泉純一郎がジョージ・W・ブッシュを接待してそう」「とんねるずが雨の中で歌ってそう」「海老蔵がクリスタル灰皿で殴られてそう」「タランティーノが映画のロケ地に使ってそう」などが上位をひしめく中(最初と最後は同じ場所だがw)、100位圏内に入るか入らなかいかの争いをしているのが、「バス網が発達してそう」だろう。知ってる人は知ってるが、実はあまり一般認識になってない事実が、「西麻布」という電車や地下鉄の駅は無いと言うこと。本来は日比谷線の開通時に六本木と広尾の間に作られるはずだったのだが、住民の猛烈な反対にあい、今はその二つの駅と、千代田線の乃木坂駅のどれからも徒歩10分以上の場所となっている*1。また、以前は「霞町」という地名で、路面電車が外苑西通りを走っていたが、それも今は面影すらない。当然ながら、都心の中心部に位置しながら電車という交通手段がないとなると発達するのがバス網である。なので、20代の半分を西麻布に住んでいた私コミンズ・リオ、バス生活を謳歌していたとは言うまでもない。東京で一番本数が多いと思われる、渋谷から新橋を、六本木・溜池山王・虎ノ門を通り走る「都01」(とのその派生である、さらに青山と神谷町を通る「新88」)、新宿から品川を、四谷三丁目・信濃町・青山一丁目・広尾・白金高輪を通り走る「品97」、千駄ヶ谷から目黒を、外苑前・広尾・白金を通りながら走る「黒77」と、バスに乗るだけで東京の隅々までいける、実に住むのに便利だった場所だ*2。

最初からバスという移動手段に好感をを抱いていたがゆえ、西麻布在住を機にさらによく乗るようになったのか、それとも必要に応じてよく乗るようになったがゆえ、さらに好きになったのかは未だに自分の中では鶏・卵だが、バスによく乗ることによって色々社会についての発見があったことは間違いない。今回はそれらのうちのいくつかを紹介したい。

①日本の隠された層との遭遇

最初の発見に入る前にまず前提の情報として提示したいのは、公共交通機関に置けるバスのポジショニングである。公共交通の最も上流にあるのが、タクシーやハイヤーなどの、「現在いる場所」と「行きたい場所」を直接繋げる手段。自分以外の同乗者も運転手しかいない。次にくるのが電車であり、電車は駅と駅をつなぐもの。「今いる場所の最寄り」と「行きたい場所の最寄り」をつなぐ手段、ということだ。そして、こちらは場合によっては不特定多数の他者と一緒に同乗する。最後にくるのがバスだ。バスは多くの場合、駅と駅の間を繋げる役目を果たしている。「最寄りの駅から歩くのには少し遠い場所」への手段。また、こちらも電車同様、不特定多数の同乗者がいる。

「駅と駅の間をつなぐ」ことには、一体どういう意味があるのか。そう、シンプルに考えると、そこは「駅と駅の間を歩くのが厳しい人たちがいるから」となる。東京だと、場所にもよるが、駅と駅の間は徒歩15~20分ほど。「健康にもいいから、一駅分歩いて帰ろう」という一種の考えがあるぐらいの距離感だが、実はそこに穴がある。そう、逆に言えば「健康について考えられるレベルの人」が普通に歩ける距離が駅と駅の間で、そうではない人たちも実在する。どういった人たちか。高齢者、妊婦、赤ちゃんや幼い子供とその親、体が不自由なかた、怪我人などが思い浮かばれる。一般的に「社会的に弱い立場」の人間だ。

同時に、この「社会的に弱い立場」の人間が使用する施設なども、駅と駅の間にあることが多い。なぜなら大規模な病院や福祉施設などはそれなりにスペースを必要とするため、土地の単価が高く密集している駅の近くには置けない。思い返して欲しい。バス停の名前に「〇〇病院前」や「総合〇〇センター前」は実に多い(そしてそういった駅名は皆無!)。なので、単純に移動する距離が長いということと、さらに日常的に通う施設がそこにあるため、バスに乗っていると多くの「社会的に弱い立場」の人間に遭遇する。

多少非難されるだろうことを承知で述べるが、一般的に日本と言う国は、こういった「社会的に弱い立場」を一般人の日常から隠す傾向にある。例えば、普通に生きていたら、日常的に車椅子で移動している人には遭遇しない。しかし、例えば途上国に行くと、それこそ日常的に、片足のない人や、知的障害の人に出会う。途上国では社会福祉がそこまで整っていないケースが多いので、表面上、上記の人々はぱっと見あまり芳しくない状態だったりするのだが(これは単純に街の汚さなども含めて)、逆に日常的に社会の様々な階層にいる人たちに出会うことにより、「あ、社会はこうやって出来上がってるんだ」と普段から思うことになる。これはアメリカやヨーロッパをなどの西欧の先進国も多少は似ており、公立の小中高に通ってた時から近所のスーパーで買い物をする日常に到るまで、ほぼ毎日、なんらかの形で社会的に弱い立場の人間に遭遇はした*3。

しかし、日本に来て、そして特に東京にいると、その感覚が麻痺してくる。まるで世の中には20~50才ぐらいの五体満足の働き盛りしかいないのでは、という錯覚に陥ってくる*4。この、行政によって作り上げられた気持ちの悪いスノードームみたいな空間から脱出できるのがバスなのだ。高田馬場に住んでいたころ、普段使っていたバスルートに全盲の方々の施設があったので、よく全盲の乗員に遭遇していた。また、社会人になっても自由度の高い生活を送っていたので、日中様々な時間のバスにのり、バスを生活の基盤として活用している老人・幼児・小学生・主婦に囲まれていた。普通に朝起きて電車に乗って会社に行って仕事して同僚と飲んだりして帰宅していたら絶対に出会わない「社会」がそこにある。そして、彼ら彼女らもこの世界を作り上げてるのだ。マスコミやエンタメ業界にいると、時折、「そこ」が全てに感じられる生活を強いられるのだが、社会の断片しか触れない日常から度々救ってくれるバスには本当に感謝している。

②金夜・土朝の都01での遭遇

「社会的に弱い立場」の層とはまた違う形で普段全く出会わない人々に遭遇するのもバスの醍醐味だ。上記でも書いたように、タクシーとまでは行かなくとも、駅と駅の間をピンポイントでつなぐバスは、目的と行く場所がはっきりしている人には実に便利な交通手段だ。そしてその場所や目的が自分と全く違うと、普段会わない人に出会える。その例としてすごく面白いと感じるのが、「金曜夜・土曜朝の都01」だ。

都01は上記でも述べたが、渋谷と六本木をつなぐバスである。六本木は大江戸線と日比谷線しか通っておらず、この二つの線は、数多くの路線のハブとなっている渋谷でさえも、実はとても行きにくい。若者のメッカである渋谷と、夜の街の代表格の一つである六本木。この二つをつなぐのはバスのみとは、ちょっと粋な計らいだとも思っている。では、一体何が見られるのか。金曜日の夜、20~22時ぐらいの間に、夜のお店で働く女性が多く搭乗しているのだ。これは本当に面白い現象で、この時間のこの路線では、普段は老人ばかりのバスが、大変華やかな空間になる。少し大げさかもしれないが、その期間だけで言えば、東京で有数の美女が集まる場所となる*5。ただ綺麗な女性と一緒にいたいのなら、キャバクラやガールズバーなんか行かないで、ひたすら渋谷⇄六本木間を往復してるほう財布にも優しいし、いろんな女性を見れるよ、と思ってしまう。

同時に、土曜日の朝も面白い。私コミンズ・リオ、休日の朝からバスケをすることが多く定期的に8:00ぐらいの都01に乗っていたが、ほぼ空っぽのバスの中に、必ずと言っていいほど、起きているのか眠っているのかが判断しにくい、ただ呆然とスマホでインスタグラムを漁っているクラブ帰りの男性に遭遇する。毎回違う男性なのにも関わらず、毎回と言っていいほど、似たような服装を着ており、似たような行動をしている。普段クラブなどとは無縁の自分からしてみると、「なぜこの時間で帰宅?」「なぜみんな同じ格好?」「なぜそもそも1人?」などと、好奇心に溢れる楽しい疑問が湧いて出てくる。細部に新しい発見を日々もたらす、バスライフ。嗚呼、愛しきバスライフ!

③オトナの矛盾との遭遇

最後に、ちょっと毛色は違うが、日々バスに乗っていてツッコミたくなるある事象について触れたい。①でも述べたように、バスにはよく小学生や、さらに幼い子どもが乗ってくるのだが、この子どもたちはほぼ100%の確率で、バスを降りるときに大声で運転手に「ありがとうございましたっ!!!」と挨拶をするのである。僕はこの光景が大好きだ。東京のような大都会だと、同じマンションの玄関で会う住人にすら挨拶をしない人が多い中、「金払ってるんだから運んでもらうのは当たり前だろ?」という資本主義に染められた醜い感覚を捨てて、ちゃんと運転手に対して敬意を込めて「ありがとうございます!」と言う。素晴らしい。僕はこの子どもたちを見てから、自分でも必ず言うようにし始めた。乗車するときには「お願いします」と、降車するときに「ありがとうございます」と*6。

しかし、読者の皆様は薄々もうお気づきかもしれない…そう、あれだけ幼い子どもが挨拶をするのに対して、ほとんどの大人はこれを言わないのだ!!子どもを連れて降車する母親とかは基本的に言うのだが、それ以外の大人は、個人的な統計でいくと、1%にも満たない。100人バスをおりて、1人言うか言わないか。何がさらに悲しいかと言うと、この挨拶をする子どもを見た老人たちは「あらあら、偉いわねぇ」と微笑ましく言うのだが、本人たちは別に「ありがとうございます」は言わない。なんなんだこの矛盾は?どの口が「挨拶は基本。とても大事なこと」と言うのだ?そして、どのタイミングで、「ありがとうございます」を言うのが恥ずかしくなったのだ?正しいことであっても、公共空間で大人が大きな声を出すのはいけないのか?じゃあ、どのタイミングで挨拶をする素直で健気な子どもは、挨拶をしない、もしくは恥ずかしくでできないつまらない大人になるのか…!!??

…ハァ…ハァ…大変失礼、つい熱くなってしまった。というわけでお気づきであろう。挨拶するかどうかでのテーマ一つで熱くなれるのがそう、バスライフ。普段出会わない、実に多種多様な人たちに出会えるバスライフ。今度、急ぎじゃないときにでも、久しぶりにどうだろうか。タクシーなんていつでも乗れる。日々に彩りと発見を与えよう、バスライフ!

*注記's*

*1: 西麻布については以前、結構がっつり英語の記事を書いたので、おヒマなときに以下リンクから読んでみて!(現在配信停止中…)

*2: 余談になるが、西麻布在住のもう一つの便利のところは、東京の主要地どこからも近い、というところにある。バスが通っていない恵比寿、赤坂、麻布十番、銀座、表参道なども、タクシーで1000円強の範囲内である。

*3: この現状をわかりやすく表しているのが、外国人が日本に遊びにくるときによく聞かれる、「東京のホームレスはどこにいるの?」という質問。そう、海外の大都市ではいたるところに見られる路上生活者が、東京では確かにあまり見かけない…この理由には色々あるのだが(それ自体は完全に違うトピックスであるので割愛する)、東京が彼らを日常生活から「隠している」ことは確かである。

*4: この状態にも様々な理由があるのだが、長くなるので今回は触れない…。いずれ書きますので、しばしお待ちを!

*5: これこそ完全に余談だが、世界中を廻ったものとしての「美女の集まる公共空間トップ3」をここで発表したい。

・③:ロンドンはセントラルセントマーチン大学の卒業制作展

 →たまたまかもしれないが、出会った人や紹介された人の多くがまあ美女だった。

・②:トロントはおしゃれなレストランの店員たち

 →裏は取れてないのだが、知人曰くトロントのレストランは顔採用が普通らしく、移民が人口の半分となっているトロントでは世界中の美人がレストランの店員をやっている!

・①:リオデジャネイロはPUC大学の中央広場

 →日本と同様国立大学が一番エリートなブラジルに置いて、PUC大学は私立の雄であり、ほぼ全くリオデジャネイロの慶應義塾大学のポジションを担っている(一番の違いはキャンパスがジャングルの一部にあり、カフェテリアの上を野生の猿が飛び交ってたりするがw)。ファッションや化粧などにお金をかける余裕のある裕福な家庭出身の若いブラジル人の女の子が通うPUC大学の中央広場は、大げさではなくビクトリアシークレットのランウェイショーなのじゃないかと疑ってしまうほど、美人でスタイル抜群でさらには露出度高めの女性たちにあふれていた。友達の授業が終わるのを待っていた一時間が、過ぎ去る美女をみているだけで一瞬で過ぎ去ったとは言うまでもない。

*6: なお、運転手の反応が面白いのもバスの醍醐味。多くの場合、こちらが「お願いします」や「ありがとうございました」というと、運転手も返してくれる(降車時にはスピーカーから聞こえてくる)。ただ、声が聞き取れてないのか、集中しているのか、その日は機嫌が悪いのか、無視されることもあり、それはそれで悲しい(笑)。すごい丁寧に挨拶をしたり、乗客を誘導する運転手が、意外に暴走気味に走る人だったりしたり、個性が現れるのは電車とは違う面白さだな、とはよく思う。

text:
コミンズ リオ
illustration:
Luca
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18-04-02