LEO KOMINZ
言い訳だけは世界ランカー
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ちょうどこのエッセイを書いているころ、2019年のNBA(アメリカのプロバスケットリーグ)のオフシーズンが始まった。フリーエージェントたちが新しいチームなどと契約できる期間であり、バスケットボールのグローバル化とトップ選手のスター化に伴い業績が右肩上りのNBAでは、ほんの十数年前に比べても信じられない年俸のインフレが起こっている。トバイアス・ハリスやクリス・ミドルトンなどといった、NBA好きなら知っているがそれ以外では誰も聞いたことがないような選手が、年俸40億円近くの契約を結んでいる。そう、読み間違いではない、一年の収入が40億円弱なのだ(契約全体は4年で180億円ほどとなっている)。バスケットボールの歴史上、栄誉・スキル・影響力、全てにおいて神の存在であるマイケル・ジョーダンの全盛期でさえここまでの年俸はなかったので、いかにNBAの中でここ数年、インフレが起こっているかがわかる。

当然だが、毎年のように、この現状に対し「こりゃおかしいでしょ!」と提唱する人たちが現れる。「地上3メートルに位置するリングの中に球を入れるのが仕事の奴らがこんなにお金をもらっていいはずがない!!世の中にもっとお金が必要な人や問題があるのに!」という考え方だ。これは、「もちろんその通り!よく言った!」と言う考え方もあれば、反対派(と言うか現実派?)は必ず「市場の原理」を出してきて、こちらも同等にその通りなのである。そもそも30チームx15人と、450人強としかいないNBA選手、その中でトップ数十人となると、世界中を見ても、存在としてどれだけ稀少か。トップ選手はチームのオーナーが奪い合うため、それだけの年俸になってもおかしくない。むしろサラリーキャップ*1などがあるせいで、今の年俸でも少ないと言われる選手がいるほど、と言う理論だ*2。これは正しく、実はどの業界を考えても、世界でトップ30人は莫大な報酬をもらっている。世界でトップの医者や弁護士は当然ながら、そこまで「高給取り」と言うイメージもたれない職業でさえ(例えば建設現場監督とか料理人とか)世界トップレベルとなれば、数億円はもらっていてもおかしくない。それどころか、今回例として出しているスポーツ選手たちに報酬を実際に与えているオーナーたちは「世界でトップレベルのビジネスマン」である場合が多く、ご存知の通り、彼ら彼女らの金額単位は「数百億円」どころの話ではなく、総資産が数千億円や数兆円に登ることなんてザラなのだ。

ただ、市場の原理によるスポーツ選手の高い収入に納得はしながらも、(もちろん人それぞれなのだが)スポーツ選手自体に対してその金額に見合う人間性を感じられ、そのまま憧れや羨望を感じられるかと言ったらまた話は変わってくる。この一番の理由としては、こう言ってはなんだが、彼らの多くは「雄(オス)」としての本能とテストステロンの塊であることが強く感じられるからだ。周りで見てきた例だけを見ても、勉学や教養よりスポーツを優先させてきた彼らに(この選択自体は彼らの成功を見る限りもちろん正しいとは思っている。私コミンズ・リオ、実は適材適所の信者なので)、今度は若くして大金を与えると、うーん、どう表現すればいいのだろうか…「よくない」ことが多々おきる、とだけ言っておこう。女性関係やお金関係、単純に性格や態度など、そうですね、ぶっちゃけます、あまり尊敬できなかった経験が多い(詳細は省きます。このエッセイはFRIDAYじゃないので)。もちろん誠実で倫理観に溢れ、人として尊敬できる要素を多くもつスポーツ選手もたくさんいるのは知っており、なんなら特に若い世代ではSNSのおかげかで素晴らしいチャリティーや活動を行っているアスリートが増えているのも事実だ。

しかし、一つだけ、年俸・性格・姿勢・生き方考え方、それぞれ関係なくアスリートのことをすごく尊敬している部分がある。それは、「言い訳できない場所で戦っている」ということに対してだ。イチローやコービー・ブライアント、タイガー・ウッズなど超一流のスポーツ選手の努力や鍛錬がいかに凄まじく、勝つこと・己を高めることに対する執念が恐ろしく、それらがいかに我々一般人の常識の範疇を超えているかがメディアに取り上げられることはよくある。しかし、当然だが、彼らだけではなく、ほとんどのスポーツ選手はものすごく努力をしている。そりゃそうだ。それが明日の試合に勝つか負けるか、続いては来年契約があるかないかに関わり、文字通り自分の人生を左右させるからである。確かに派手な女たらしかもしれなし、多少大きめなエゴの持ち主かもしれないが、同時に、反吐が出るぐらいキツく、失神しそうなぐらい激しいトレーニングを毎日やっていると考えると、そりゃあ一日中エアコンのかかってるオフィスで柔らかい椅子に座ってカタカタやってる人と違うマインドになるのはしょうがないかもしれない、とも思ってしまう。

さらに、である。チームスポーツをやっている人は、まだ何かしら他の人との関わり合いによって変数が出てくるので、多少は言い訳できるかもしれないが(自分の得意分野に合わせたチーム戦術じゃない、など)、個人スポーツは本当に大変だ。ゴルフやテニスなど世界ランクがあるスポーツになるとなおさらだ。世界ランク143位の選手が「本当は違うんだ!俺は本当は76位レベルの選手なんだ!みんな間違ってる!」とか言い訳はできない。結果が全て。本当に76位レベルなのだとしたら、そこに到るまで勝ち続けて証明するしかない。反吐が出るぐらいキツく、失神しそうなぐらい激しいトレーニングを毎日やったとしても、一つもランクが上がらない可能性がある。0.1秒を縮められない可能性がある。オリンピック候補に選ばれない可能性がある。なぜなら、真面目にやってる奴らはみんな同じぐらい努力してる上に、常に新しい才能が出てきているからだ*3。

この「言い訳できない環境に身を置いている」と言うのは本当にすごいと思う。なぜなら、大人になった一般社会は、言い訳だらけだからである*4。まずそもそも、普通の仕事をしている限り、基本的にどこにもランク制度なんてない。「おい田中、ランキングでたぞ。お前は日本で15,344番目の公認会計士だ。来年頑張ってランクを上げろよ」みたいなことは、ほぼどの業界にもない。強いて挙げるとしたら、営業成績(証券会社など)や水商売(売上ナンバーワンホストなど)ぐらいだろうか。なんなら、一般的に主観的な「良し悪し」で評価される芸術やエンタメの世界でさえもランクは存在しない。誰が「日本で一番の映画監督」かなんて決められないのだ。興行収入で一位の映画を作った監督はいるかもしれないが、その映画が専門家からは酷評されている可能性もある。明確な勝敗がなく、逆に統括的なランキングをつけるには多種多様な要素がありすぎるのが一般社会なのである。

その中で繰り広げられるのが言い訳である。直接仕事に関わるものはまだわかる。「部長がちゃんと評価してくれない」「部下が言った通りにやらない」「クライアント先の担当の人間性に問題がある」など、人間だもの、多少は愚痴りたくなるのはわかる。これぐらいだったら多少なりはスポーツ界にあるだろう*5。一般社会に存在する一番悲しい言い訳は、「他の要素でカバーする」言い訳である。例えば草野球の大会で、二つのチームがあったとしよう。チームAは、高校野球や大学部活でいい所までは行ったものの様々な理由でプロになれず、「普通の仕事」についた選手を揃えたチーム。チームBは医者や弁護士の野球好きを集めたチーム。そしてまあ想像通り、チームAがチームBを圧勝したとしよう。十中八九、医者や弁護士チームは多少悔しがりはしながらも「でも、俺たち医者や弁護士だぜ?人生ではこっちが上じゃん」といった言い訳を自分たちの中で内省させるであろう。これが大人の悲しい言い訳であり、日常的に蔓延している。自尊心とプライドを守るため、無数に存在する「他の要素」を用い言い訳を作る。興行収入一位の映画監督は、売れないながらも専門家には高く評価された映画監督に対して「なにあいつ、誰も見ない映画なんか作ってなんの意味があるんだ。ただのオナニーじゃん」と自分を守る言い訳をし、逆にもう片方の映画監督は「大衆受けのクソ映画を撮ってなんの意味があるんだ。芸術を汚す奴が映画監督なんて名乗るんじゃねえよ」と自分を守る言い訳をする。

ただ、これはしょうがないことなのである。社会的に「大人」になると言うことは、「勝敗」と繋がる剥き出しの感情と、少しずつ離れていくことと同義でもある(だから社会では、例えば会社のゴルフコンペで激しく一喜一憂するような人がいたとしたら、その人のことを「子供っぽい」と評するのである)。そしてさらに、本当に、ただ単純に、価値観の違いも存在する。上記の映画監督の二人も、言い訳ではなく、単純に価値観が違うと言う可能性もある。金銭的成功に価値を感じない人間と感じる人間、など。だからこそ私コミンズ・リオ、個人的に目指しているものは、価値観を合わせた上での、言い訳のない戦い。一般社会ではこれを全うするのは難しいことも多い。しかし、もう今生ではプロアスリートになれない以上、それが唯一できることなのだ。言い訳なんてせず、心を燃やし、結果に対して一喜一憂できる唯一の方法なのだ。

*注記's*

*1: サラリーキャップとは?こちらwikiにて。

*2: サラリーキャップがないMLBなどを見ていると、本来市場の原理だけでいけば、NBAの歴史上で唯一ジョーダンと並ぶレベルに現在いるレブロン・ジェームスなどは、年俸100億でもおかしくなく、その価値がある、という考え。

*3: アスリートが唯一、ガチで言い訳できるのは怪我。才能があったけど怪我に泣いた選手はどのスポーツにもたくさんいる。今回は話の論点がズレるので触れないが。

*4: 面白いことに、こどもの頃は逆にランキングや序列がたくさんある。学校の成績、部活、偏差値など色々と。そこから逃げるのがある意味大人の社会ってことになる…ただ生きてるだけでたくさん競わないといけないから、しょうがないのかもしれないが…。

*5: 世界ランキング143位の選手も「トレーナーがよくないから今のランキングなんだ!」とは一応言い訳できるが…超カッコ悪いよね、そのアスリート(笑) 

text:
コミンズ リオ
illustration:
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18-04-02