LEO KOMINZ
"地理・地形・イメージ論"|ザ・その時決める@リオデジャネイロ
E_
04

ーー世界一危険な街

正直に述べると、リオデジャネイロに着く前は、かなり不安でいっぱいだった。まず、直接的な知り合いが一人もいなく、友達の友達から二人ほど紹介をいただいただけたっだ。また、人生でほとんど旅行をしたことのない自分にとって、人生で初めての、言語が全く通じない国での滞在だった。そしてなにより、リオデジャネイロが持つ、圧倒的な「危険な街」というイメージ。出発前は、もちろん新しい場所を経験できる期待からくるワクワク感が一番強かったものの、同時に、この「危険な街」のイメージによる不安が、心の奥底にひっそりと佇んでいた。

高校の授業で、フェルナンド・メイレレス監督の「シティ・オブ・ゴッド」を見た。アカデミー賞にもノミネートされたこの作品、内容は、1960年代から80年代までに、作品と同名のリオデジャネイロ郊外のファベーラ(スラム街)で頻繁に多発していた、ギャングに所属する子供たちによる麻薬取引や暴力を描いたもの。構成とシネマトグラフィーが素晴らしく、その素晴らしさゆえに生々しいこの作品、例えばお菓子欲しさに12歳の子供が14歳のリーダーを躊躇もなく銃で打ち殺し、次の瞬間にはその子も他の子供に殺される。人間の命なんて虫ケラ同然に扱うこの子供達を見て、全身を走る衝撃を感じた。こんなところが本当に世界にあったのか?恐ろしすぎる。こんなとこ、絶対行きたくない!と、映画を見終えて思ったのを鮮明に覚えている。

十数年後、めでたくリオデジャネイロに行くことが決まった。いや、決まったというか、まさかの自分で決めたのだ。その間、年を重ね、自分を落ち着かせる技術も身につけた。シティ・オブ・ゴッドの世界からは30年以上も経っている。ブラジルは高度成長期を迎えたし、いまやリオデジャネイロはワールドカップの決勝戦を主催した都市であり、来年にはオリンピックも控えている。どこかの記事でリオデジャネイロの市は治安改善にすごく力を入れていると読んだし(しかも日本の交番システムを取り入れ)、最近リオデジャネイロを訪れた友達も、命を奪われるような危険は全くないと言っていた。しかし、同時に「リオデジャネイロを訪れた友人の多くが強盗に遭った」、と言うポルトガル語の教授の話も聞いたし、紹介された現地の知人からは「確かにバッグをナイフで切り裂いてものを盗む人もいるし、地域によっては昼間は安全でも夜になったらすごく危険になる場所もあるから、気をつけてね!」とアドバイスをいただいた。正直なにを信じればいいのかもわからず、不安からか人生で初めてガイドブックを買い(余談だが、ガイドブックはロンリープラネット。結局ほとんど読まなかった)、フライトが4時間も遅れたせいで若干感覚が麻痺しながらも、人生で初めてポルトガル語に囲まれながら飛行機に搭乗し、ケネディ空港から飛び立った。

ーーイメージ論

結果だけからいうと、滞在中には危険な目には一度もあわなかった。これにはいくつか理由があると考えている。最初に述べなくてはいけないのは、確かに市の対策により治安が多少は改善したということもあると思うが、正直それ以外の要素が大きいと思っている。まず、危険な目に遭う「対象」にならなかったこと。基本的には観光客らしくない「一人」で常に行動し、服装もカリオカ(リオデジャネイロの住人)の格好そのままで過ごし、携帯もカメラも露出せず、バックパックも持ち歩かず(学校に行くなど以外、カリオカは基本手ぶら)、なによりブラジルでは一番現地人だと思われやすい混血だという理由が大きかったのではないかと思っている。さらにはというと、危険な地域にはほとんど行っていないという事実がある。一番治安の悪い北の地域には一度も立ち入らず、時間と場所によっては危険な真ん中の地区は、現地のカリオカと昼間の時にしか基本訪れなかった。これらの要因の上に、さらに常に用心もしていたので、大丈夫だったのではないかと思っている。

しかし、上記と全く同じ生き方をしている南地区のカリオカたちも、危険な目に全く遭ってはいないとは言えない。車で出かけた郊外からの帰りに渋滞にあい、その時にバイクでよってきた二人組に機関銃を突きつけられ強盗されたとか、セントロ地区で夜道を歩いていたら突然襲われ強盗されたとか、いくらでも話は聞いた。なので、運の要素もある。

ただ、リオデジャネイロで日々過ごしていると感じるのは、いかにその「危険な街」というイメージが、生きる上で蛇足に過ぎないかという事実だった。南地区のど真ん中に位置する、コパカバーナやイパネマという世界屈指のビーチの存在により全く知られていない美しきラグーン「ラゴーア」の存在と同様に、「危険な街」というイメージにより、リオデジャネイロの素晴らしい点の多くが一般人の意識には存在しない。ビーチで日光浴する水着の美女などのイメージはあるかもしれないが、例えばゾナスル(南地区)の都市計画による街並みの景観の美しさも、バスに乗っていると他人でも重い荷物を持ってあげる心優しい文化も、フェジョアーダををはじめとした絶品のブラジル料理も、ほとんどのものは「危険な街」というイメージの影に隠れてしまう。

もちろん、人間というのは基本的に二次的なソースから得た情報でものごとのイメージを固め、よほどの興味がない限りそれ以上追求しない、というのはわかっている。しかし、だからこそ、せめて「危険な街」の部分についてもっと考えてもいいのでは?二次的な情報しかないのだったら、「その根本にある理由は何?」と問い直してみてもいいのでは?という思いが最終的に一番強く残った。「ファベーラには行かないの?」「夜歩いていて危険じゃないの?」ーーこういった質問を日本の友人からされるたびに、上記のような思いはさらに強くなっていった。

ーーGeography + Geology

例えば、リオデジャネイロの地理的、そして地形学的特殊性というのがある。都市という存在が大好きで(こんなプロジェクトをやっているので当然かもしれないが)、さらには地理と地形が好きな自分にとって、リオデジャネイロほど魅惑的な都市はなかった。こんなめちゃくちゃな都市、他にない!コパカバーナに住んでいると、アパートの部屋の窓から首を出し左を見ると真っ青な海と黄金色に輝くビーチが見え、右を見ると青々と茂る巨大な山が見える。大都会であるということを忘れてしまうことがしばしばある。旅中に出会ったある男性の言葉が印象に残っている。「リオデジャネイロはあまりにも美しすぎるから、本当は都市なんか作らないほうがよかったんじゃないかって思う時があるよ」…確かに、とちょっと納得してしまった。

しかし、リオデジャネイロの地理的・地形学的特殊性は、都市の美しさ以外にも大きな影響を与えている。これは、リオデジャネイロについて現地のカリオカと話していて知ったことなのだが、リオデジャネイロのファベーラは、一つの地区に一つずつある。例えば東京に当てはめると、新宿区には新宿区のファベーラ、渋谷区には渋谷区のファベーラ、という感覚である。そしてもう一つのキーポイントは、ファベーラの住民が基本的に街中の賃金制のブルーカラー労働をしているということ。要するに、普通の都市では貧困層は郊外から公共交通機関を使って通勤するが(引き続き東京に当てはめると、港区のコンビニで働いている人はほとんどのケースでは港区外から通ってきている)、リオデジャネイロは地形学的に山が多すぎたため交通機関に頼ることができず、その昔、山の上にファベーラを作り、今に至るまで住人たちは働きに山を降りてきているのである。

この事実を知った時、脳裏に電撃が走った。答えが出たからである。リオデジャネイロに住んでいると、なぜリオデジャネイロばかりファベーラの印象が最も強いのか、と疑問に思ってしまう。なぜなら、サンパウロにもファベーラはあるからだ。いや、それどころか、子供がギャングに所属し、抗争によって殺される事実だけなら、アメリカにもある。サウスサイド・シカゴ、デトロイト、セイントルイス、ワシントンD.C.ーー「世界一の経済大国」というアメリカの中でもスラムやギャングはいくらでもある。リオデジャネイロとの根本の違いは地形によるもの。サンパウロもシカゴも、ギャングが蔓延るスラムの地域は、お金持ちが住む中心地からは離れた、都市を囲む外縁の部分にあたる。しかしリオデジャネイロは違う。南米で最も地価が高いレブロン地区の真上には、リオデジャネイロ最大級のファベーラが山の上を段々に広がり、美しい橙色の光を放っている。

ーーThe Sea and I

リオデジャネイロの街角には必ずと言っていいほどジューススタンドの一つや二つがあるのだが、その中でもまだ珍しい独自のミックスジュースを作るUluwatu Sucosの店長と仲良くなった(リオデジャネイロのジューススタンドの多くはフルーツは混ぜないのだ)。この店長は大のサーフィン狂で、バルセロナに6年間住んでいた以外に、サーフィンをするべく世界中を周った経歴を持っている。ある日彼と話していた時、人生トップレベルで印象に残る言葉を彼が発した。「僕が思うにリオデジャネイロの一番すごいところは、金持ちから貧乏人まで、みんなハッピーだということ。僕は世界の20ヵ国以上を見てきたけど、ほとんどの国は、貧乏人は生活が辛いから不幸な顔をしていて、金持ちはお金を得るためにいろいろと犠牲にしたから不幸な顔をしている。リオデジャネイロはそうじゃないんだ。なぜかって?海は人を選ばないからさ」。

海は人を選ばないーー聞いた瞬間、まるで頭の中に新しい扉が開いたような感覚を覚えた。カリオカにとってビーチカルチャーが生活で最も重要なものといのはブログでも触れたが、そのビーチの一番の価値が貧富の差関係なく楽しめるということ、とは考えたことなかった。ビーチが無料だというのなんて、当然だと思っていた。さらにはというと、ビーチは貧富の差を隠しもする。貧乏だから腰に布切れを巻いて泳いで、金持ちだからベンツで乗り込み、ロレックスをしながらシャネルの水着で泳ぐ、なんてことはあり得ない。みんながみんな、極小の面積の水着で同じぐらい素っ裸な格好で過ごしている。誰が金持ちで誰が貧乏かなんてわからない。リオデジャネイロの特殊な地理と地形は、ファベーラと一般居住区を隣同士にくっつけ、「危険がすぐそこにある!」というイメージを作り出したものの、同時に、世界では稀に見る、貧困層と富裕層がハッピーに過ごせるカルチャーも作り出したのだ。

なので、リオデジャネイロを地球の裏側に位置する文化も言葉もあまりにも違う、憧れはあるけど正直ちょっと怖い都市と思っているあなた…あなたこそリオデジャネイロを絶対に訪れるべき!靴なんて脱ぎ捨ててハヴァイヤナスをはき、恥ずかしさなんて取っ払ってお尻に食い込むビキニを着て、サングラスとココナッツをもってビーチへ乗り出そう。そこでは母国での年収も、最近たるんできた肉体も、どこ出身で肌が何色かも、なにも関係ない。そう、解放された自由を全力で味わおう。

心配しないで。海は人を選ばないから。

text:
コミンズ リオ
cover photo:
Glauber Sampaio
essay photo:
Leo Kominz
V_
v02
18-04-02