LEO KOMINZ
"憧憬のテーマパーク"|ザ・その時決める@パリ
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ーーディズニーランド × パリ

パリにいる間、トロント以来、久しぶりのジョークを考えた。パリに滞在して一週間弱が経ち、その間で感じたことを素直に表現したものだった。しかも、今回はシンプルだったおかげか、出会ったパリジャン・パリジェンヌに意外とウケがよかった。こういうものだ。

「なんでパリにはディズニーランドがあるの?パリ自体がディズニーランドなのに?」

パリ滞在者に「パリの印象はどう?」と聞かれるたびにこのジョークを出したのだが、みんな笑ってくれた。それは、おそらく、パリに滞在している彼ら・彼女ら本人が、これに似た感覚を日々感じているからだと思う。

このジョークを思いついた瞬間ははっきりと覚えている。ポンピドーセンターに行きたいと思い、シャトレ駅で降り、一回作業をするためにカフェに入った。カフェでの作業を終え、そこからポンピドーセンターに向かったのだが、その間に興味深いことに気づいた。まず、カフェから出た瞬間に、サン=ジャック塔がそこにあった。晴れていたので、周りにはたくさんの人たちが日向ぼっこをしており、塔自体もとても立派なものだった。そこから東に少し向かった先に、オテル・ド・ヴィルが姿を現した。もう、「これぞパリ!」という雰囲気を存分に醸し出している、市庁舎である。おそらく観光ガイドの「見るべきスポット」の定番でもある場所だ。そこから北にのぼり、やっとポンピドーセンターについた。そこで気づいたのだ。今、ポンピドーセンターに向かおうとしただけなのに、重要そうな歴史的建造物二つに「出会ってしまった」ということに。

パリは恐ろしいほど美しい都市である*1。特に20区内のさらに中心は、まるで博物館の中を歩いているよう。どの建物を見ても、ファサードは綺麗なデザインで彩られ、複雑そうな彫り物で溢れている。この「隙間のない美しさ」が一つのアイデンティティーであり、パリが人を魅了し惹きつける部分だというのはわかっていた。しかし、今回の「ポンピドーセンターに向かう体験」で、その感覚がさらに覚醒し、浄化された。そう、「こんなこと」は他の都市では経験できないのだ。ある有名な目的地目指している途中に、同じぐらい有名な建物や建造物に「たまたま遭遇してしまう」なんてことは、パリでしかありえない。こういった現象がみられるのは、他ではテーマパークぐらいだ。ビッグサンダーマウンテンに行こうと思ったけど、途中にティーカップとピーターパンの乗り物があった。だから寄り道した。このような、ディズニーランドでしか経験したことのなかった感覚が一番近かった。

ゆえに、パリはディズニーランド(=テーマパーク)なのだな、と感じた。そして、その感覚を深く掘っていけば掘っていくほど、調べれば調べるほど、いろいろと類似する面白い部分が解明されていった。

ーー憧れの管理者

都市紹介ページで、パリほどニックネームを持っている都市は世界に類を見ないと書いたが、もし自分が異名をつけるとしたら、「憧れの街」にすると思う。ニューヨークが「世界が求める街」だとしたら、パリは「世界が憧れる街」。上記でも述べた、街をを彩る建物と、そこから醸し出される雰囲気は、観光客からすれば完璧な「ハレ」を作り出してくれる。歴史的建造物に囲まれ、美術館により、セーヌ川を歩き、輝くエッフェル塔を眺め、オレンジ色の蛍光に照らされながらカフェやビストロで食事でもした日には、十中八九、もう憧れの魔法にかかっている。旅行というのは一般的に日常からの逃避の役目を果たしているが、バカンスが目的のリゾート地域を除いて*2、この「現実逃避」感覚を最も与えられてくれるのがパリだと思った。一度訪れた日本人が、「パリ、あぁ、パリ」と、まるで過去の大恋愛を想い、この街に恋い焦がれるか理由が、滞在して初めて理解できた*3。

この「憧れ」を管理しているのがパリの市である。パリに来て一番驚いたのが、高層ビルの少なさだ。少なさというより、基本的に20区内にはエッフェル塔を高さで超える建造物が一つもない。人口・経済・文化的規模で「世界5大都市」の一角を担うパリだが、まさかの経済地区を20区外の西の地域に移しているとは、この目で見るまで信じられなかった。資本の象徴である高層ビルは、超経済圏では権力と威厳を見せるために都市のど真ん中にある。資本重視ではないヨーロッパよりの感覚を持っているロンドンも、金融や保険街は街の東のリバープールストリートあたりだが、それでも交通アクセスはいいし、十分中心の一つとなっている。

しかしパリは違う。パリ市は「パリで最も重要なのは憧れが存在すること」とし、金融街を20区の外に移した。鉄やガラスは景観を壊す。どこからでもエッフェル塔が見えなくてはパリではない。こういう部分を最優先し、憧れを守っている。しかしこれは、ニューヨークや東京でいう、金融街をマンハッタンや23区の外に移すと同じぐらいの決断にあたる。他の都市だと「ありえない」ことが、パリでは平然とおきているのだ。

都市の外観だけではない。「人」もそうである。ある日、レストランでパリジャンのグループとご飯を食べていて聞いたことが、一般的なパリのカフェやビストロの料理人は中東やアフリカの元植民地からの移民だそう。しかも、多くの場合は不法滞在者。また、違う男性から聞いた話は、フランス政府はこういった移民に対するデータは全く取らないという。というか、取ること自体が違法であり、この事実自体を完全にないものとしている。なので、基本的にこういった移民は「顔が表に出ない」厨房などでしか働いていない。見た目からして「ザ・パリ」といったカフェで食べられている鴨のロティが、実は顔も見せられない、国的には「存在しない」移民たちによって作られている。この時、「これは非日常空間を守るため、ディズニーランドを闊歩しているキャラクターの『中身』は絶対に見えない(=存在しない)ように徹底管理しているのと同じではないか!」と驚嘆し、口に運ぶフォークを置いたのを覚えている。建物や都市計画だけではなく、人までもが憧れの管理下にあるのだ。

ーー憧れへのレジスタンス

ただ、パリは「テーマパーク的」とは言っても、実際にテーマパークではない。その中には、憧れの外で普通に生活をしている人たちがたくさんいる。いや、むしろ市が強要している憧れ優先主義に真っ向から反対する人たちにも多く会った。

彼ら・彼女らの多くは、リベラルな考えを持つ若者だった。パリのそのカビの生えたような保守性に飽き飽きしている。新しいアイデアがあって、行動に移してみても、すぐ駆逐される。例えば、スタートアップシーンに対する考えがそうだ。彼ら曰く、ベルリンやロンドン*4では次々と勢いのあるスタートアップが誕生しているのだが、パリではその数が圧倒的に少ない。それには、やはりパリでスタートアップを始める難しさがある。まず、家賃が信じがたいほど高いため、パリ20区の中でオフィスを持つこと自体が困難なのだ。Airbnbのホストの兄がやっていたスタートアップは、まさかの妹のリビングがオフィスだった。しかもそのリビング自体が大きいわけではなく、6畳ぐらいの部屋に5、6人がぎゅうぎゅうになって作業していた。

若者の案の一つは、パリの中心の拡大だ。現在の20区は狭く(山手線の内側ぐらい)外縁が街道で囲まれており、同時に「20区の外に住んでいる人は真のパリジャンじゃない」という選民意識が一定レベルで蔓延しているため、20区内の家賃は非常に高い。さらには新しいビルを建てられないため、部屋・空間の数が完全に固定されている。そこで、「パリの中心」自体を広げ、25区でも30区でも作れば、「パリジャン」として住める人も増え、テナントが入れるビルの数も増え、全体的に家賃の価格が下がるのでは、という意見が挙がっている。しかも、これは前例がない話ではない。パリの歴史を見てみると、何度も外縁にあった壁を取り壊し、ひとまわり大きくなっている。(壁があった場所は今でも跡が残っているところもある。)さらに、パリのメトロ自体が近年、20区より外部に向けて線を伸ばすことに力を入れている事実もあり、若者たちの提案はそれほど非現実的なものでない。

しかし、それが実現されることはおそらくない。それには、やはり憧れが関連している。パリのパリたる所以は、やはりそのコンパクトさと、建物と都市全体の外観の管理である。テーマパークからは、絶対に「現実」は見えてはいけない。パリが拡大して、外側が高層ビルだらけになり、エッフェル塔がどこかの展望台から見下ろされる何かのオブジェみたいになってしまったら、それはもう「パリ」ではないのだ。

今回挙げたのはスタートアップを誘致したり、自ら起業したりしたい若者の例だが、似たような悩みは様々な業界の人から聞いた。要にあるのは、どこの都市・国・地域・自治体にもある程度は存在する、「リベラリズム」に対する「保守性」だ。ただ、この保守性、いわゆる憧れの管理者たちの信念が大変手強い。彼らの信念の根本にあるのは、「パリらしさ(そしてフランスらしさ)が最終的には最も重要」だということ。他の大都市同様、パリを市場優先の無秩序、フリー・フォー・オール(=なんでもあり)には絶対にしてはいけない、という想い。パリを、そしてフランスを躍進させるのは、最終的には今まで通り守ってきた、「フランスらしさ」なのだから。

ーー考える都市

こういった話を聞くときには、自分の意見は極力控えた。というより、自分は滞在しているといっても短期間だけだし、強い意見を言えるほどどちらかに賛成することができなかった。「確かにベルリンを例に、単純に『空間』の数が増えるだけで色々可能性が広がるよね」と、リベラル側の意見も理解できたし、「確かに『フランスらしさ』を守りながら、ファッションから美食まで様々なジャンルで世界の第一線で成功してるよね」と、保守側の意見にも納得した。

それより、単純に嬉しかった。なぜ嬉しかったかというと、ここまで住人が自分の住む都市について考えて、議論しているところを訪れたことがなかったからである。これについて、出会ったパリジャン・パリジェンヌによく尋ねてみたのだが、毎回、「確かに…気づかなかったけど、パリについてよく話すかも!」と驚いていた。また、よく「それはパリがフランスにとって全ての中心だからじゃない?」と返されたが、おそらくそうではない。東京もロンドンも、一つの国対一つの都市でみたら完全に中心だが、その二つの都市の住人は全くと言っていいほど自分たちが住んでいる街について話さない*5。おそらく教育である。ある青年から「フランスの学校では『疑問を持たせる』や『考えを発表し議論をさせる』授業がある」という話を聞いたが、それだとしか考えられなかった。「みんなが日々、ちゃんと『考える』社会を作りたい」と思い生きている自分にとって、リベラルであれ、保守的であれ、みんな色々考えてパリについて議論している住人を見るのが、心の底から嬉しかった。

滞在先のル・ゴブランから13区の南のほうに歩く。「従業員がオーナー」のビストロが集まる丘の上にたどり着き、店に一つ入る。今年出会った中でも群を抜いて「こいつ、めっちゃ考えてるな」と思った友人と、ランチを食べる。晩夏の太陽が、じんわりとした日光を石畳に降り注ぐ。テラスから外を眺めていると、ふと思った。そうだ、フランス革命自体が、「思想」から発火したものではないか。この国は、この都市は、「思想」によって民主主義を手に入れた場所ではないか。パリとは、自分が今座っているような場所に、何百年も、思想家・画家・詩人・音楽家・劇作家と、実に様々な考えを持つ人間が集まり、議論していた都市ではないか。

カレー味の鳥肉を口に運ぶ。ここのお店は「誰が作っているか」もはっきりしているし、もう驚きでフォークを落としたりはしない。「顔が見える」ミッキーマウス、「プログラミング学校」のシンデレラ城*6。思想でテーマパークも変わっていく。リベラル?保守?大丈夫、結果うまくいくでしょ。

パリは最も重要な「考える」ことを、ずっと続けている都市なんだから。

*1: 「パリは美しいと思って行ったら、道はゴミと犬の糞だらけだったわ!」と、がっかりした日本人の話は有名だが、今は昔。街はかなり清潔になっている。

*2: リゾートなどは、完全に「日常」が消されているため、また違う次元の現実逃避が約束される。なんだかんだパリではスーツを着て仕事に出かけるおっさんや、そこらへんに寝転んでいるホームレスなどは見かけるので、さすがにリゾートにはかなわない。

*3: パリで日系の本屋に行くと、「私が愛したパリ」的なタイトルがつく本の数に圧倒される。著者のほとんどが40代半ばの、名前に「子」がつくライトなフェミニストっぽい女性なのは気のせいだろうか…。

*4: フランス人のパリジャンの話に出る対象が大方ベルリン(ドイツ)もしくはロンドン(イギリス)、フランスの歴史をみても長年のライバルの二国だったのがなんか微笑ましかった(笑)

*5: 唯一自分の都市について話すのはニューヨーカーだが、「議論する」というよりは、もっぱら絶賛している。ニューヨーカーにとっての話題は唯一、「ニューヨークって世界一の都市だよね」しかない。(と、書いてみて思ったのだが、絶賛するのは基本的に外からニューヨークにやってきた人たち。ニューヨーク生まれ育ちの友達は案外酷評してたりする。でも、これはどこも同じか(笑))

*6: 通信関係の事業で資産家となったザビエル・ニールは、パリの北部の倉庫を買い、「42」という毎年1000人に無料でプログラミングやITビジネス関係の授業を教えるスクールを作った。こういった、既存のストラクチャーの中で抵抗を見せるケースも最近よくでてきている。

text:
コミンズ リオ
cover photo:
Alexander
essay photos:
Leo Kominz
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18-04-02