LEO KOMINZ
"都市のハード面"|ザ・その時決める@ロンドン
E_
05

ーー「フィット感」

幼少の頃から二つの国を行き来していると、定期的に、「ここ(この街や国)が自分の居場所だと気づいて、結局住み着いた」という人に出会う。自分にとってはそれがアメリカと日本だったわけだが、父の仕事の関係上などで、「日本が好きでもう20年も住んでいる」と言った外国人や、「アメリカに着た瞬間、ここが自分の肌に合っているとわかった」などという日本人に会ってきた。こういった話を聞くたびに、自分としては、全く共感を抱けなかったことを今でも覚えている。自分の場合は日本とアメリカの血が半分ずつ入っているわけで、だからこそ両方の国に近く感じているわけだが、自分の血筋や背景と全く関係のない国や文化に惚れ込み、「そこが自分の居場所」と決断し永住する人たちがいるんだな、と驚き、同時に半信半疑だった*1。

この感覚は、今回のこのプロジェクトを始める時も抱いていた。好奇心と知識欲が強く、新しい体験が何よりも好きだからこそ「様々の都市に住んでみたい!」と思ってはいたが、12箇所のうちのどれかが「自分の居場所」になりうるとは全く想像できなかった。海外での滞在経験が豊富、もしくは海外旅行などを多く行ってきた友達からは、「どこかが楽しくなっちゃって、途中からそこに住み出しちゃうんじゃない?」とよく冗談で言われたが、言われるたびに「それは絶対にないな」と思っていた。まずそんな無責任なことはできないし、なにより、上記で述べたように、全く新しい土地に対して「ここが自分の居場所」と決断するメンタリティーがもともと自分には備わっていないと思っていたからだ。

ロンドンはある意味12の都市の中でも特殊な都市だった。なぜなら、他の都市と違い、「大都会」以外という凡庸性が高いイメージ以外、基本的にはなにも抱かずに選び、滞在し始めたからだ。良く言えば真っ白なキャンバス、悪く言えばあまり何も期待していなかった。しかし、ロンドンに到着し、住み始めたら、なんとも形容しがたい感覚に襲われた。なんといえばいいのだろう、「フィット」する、だろうか。日常的に生きてきて、様々な要素でここまで「フィット」した都市は、東京以外では初めてだった。もしかして、これが以前出会ってきた人たちが言っていた、「自分の居場所という感覚」なのだろうか、と自問自答した。

物事を(かってに)分析し、(かってに)持論を作るのがなにより好きな自分にとって、初めて抱いたこの感覚の理由を探るのは一つの楽しみでもあった。一人で世界を周っていると自ずと日常的に行う自己分析とともに、さらに深くいろいろと考えてみた結果、たどり着いたのは「都市のハード面」の重要性だった。初めて気づいたことだったのだが、自分にとって居心地のいい、住んでいて面白い都市というのは、様々な「ハード」の部分で共通していたのである。

ーーHardware vs Software

突然、「都市のハード面」などと言われてもピンとこないと思うので、少し説明を入れたいと思う。まず、根本的に日常生活を豊かにするイメージをもつものは、都市のソフトの部分である。その都市でどんな仕事の業界が人気があるとか、どれだけ独立系のカフェが充実しているかなど、基本的に「人」が作り上げる部分はソフトとして考えている。

では、ハードとはなにか。ハードとは、ソフトの反対、基本的に「人がコントロールできない」都市の部分である。例えば、前回のリオデジャネイロの「ザ・その時決める」であげた、「地理と地形」などがまさにそう。さらに例ををあげると、歴史、または歴史による文化・行政の考えもそうである*2。その中で、すぐさま気づいた、ロンドンと東京に共通する、潜在的に自分に日々面白みを与えていたハードの一つが、「道」と「区域」だった。

都市というものは現在の形に至るまで、様々な歴史的な背景があり、さらにいうと、始まりからして全く違うケースがほとんどである。世界史から見ればついこの間できたばかりで、9・11以外本土に一度も外部からの攻撃を食らったことがないアメリカの都市と、数々の戦争とお互いへの侵略を繰り返してきたヨーロッパの都市は、根本レベルから違う。世界4大都市の雄二つであり、どちらも英語圏ということで、不勉強ながら「似ているんだろうな」と思っていたロンドンとニューヨークも、いざ生活をしてみたら、全くもって違った。むしろ似ている部分を探す方が難しく、強いてあげるとしたら、観光客とその観光客が集まるブロードウェイ系ミュージカルぐらいしか思いつかなかった。

ーー路地裏の魅力

むしろロンドンは東京に近いと感じて、その根幹の部分は、「道」と「区域」に置ける、都市計画(というよりはいかに都市計画が存在していないか、が正しい)によるものだった。区域で考えると、例えばマンハッタンが中心となるニューヨークに対して*3、ロンドンや東京は分散している。ロンドンは観光やビジネスの中心地(コフヴェント・ガーデンやソーホー)、金融街の東の地域(リバプールストリート)、金持ちが滞在する西の地域(ナイツブリッジやチェルシー)、イケイケの北東のヒップスター地域(ショーディッチやハックニー)、国際色豊かな最近流行りの南の地域(ブリックストンやペッカム)、そして意外と住み心地の良い、なんだかんだいろいろと揃っている北の地域(ストークニューイングトンなど)がある。この中心が分散している感覚は東京以外で感じたことがなく、上記の場所もそれぞれ銀座、新橋、白銀、渋谷・原宿、下北沢、上野などと、そのまま置き換えることができる。

さらに、「道」という部分でも東京とロンドンは似ている。ロンドンに滞在していて気づいたことは、例えば最寄りの駅に行きたい場合、グーグルマップスが表示するルートを辿らなくても到着できる、という事実だった。駅と同じ方向にいくつもの小さい道があり、どれを使っても、ある程度方向さえあっていれば、いずれ辿りつくのである。これは同時に多少迷子になれる楽しみも含まれており、違う道を使うたびに、新しいパブやカフェや雑貨屋を発見できて、歩いているだけで、探索しているだけで楽しかった。普通に日常的な生活を送り、いつものルートを歩いていても、ある日パッと横を見てみたらそこには路地裏があることに気づく。当然だが、その奥には行ったこともないし、なにがあるかわからない。言葉にできなワクワク感に溢れる。こういったことが常に起こりうる街がロンドンであり、これこそがロンドンの紹介ページでも疑問に抱いていた、「なんでこんなにファンタジー小説が生まれるのか?」の答えだとも気づいた。ロンドンで生活していると、常に、「もしかしたらあの奥には魔法の杖を買えるダイアゴン・アリーがあるかもしれない」とか「あの先を抜ければナルニア王国につながる街灯があるかもしれない」と思わせてくれるのである。

ーー歴史→文化

当然だが、このような感覚は北米の都市では生まれない。都市自体が新しく、近代都市になるにつれ都市計画が行われてきたため、ほとんどの街が升目状になっているからである。ニューヨークの、道が全て数字になっているおかげで常にどこにいるかがわかる状態は確かにありがたいが、ロンドンで味わえる、「迷子の楽しみ」はニュヨークでは皆無である。グーグルマップスも、「まっすぐ進む」か「曲がって、まっすぐ進む」の二択しか表示されない。さらに升目により巨大なシティブロックが作られているので、当然だが路地裏など全くない。(もちろんクイーンズ、ブルックリン、ブロンクスに行けば多少は変わるが、どれも都市の中心というよりは、基本的にマンハッタンの郊外地域という感覚が強い)。なお、サンフランシスコもトロントも、この升目状の感覚からいくと、基本的には似ている。

結局どこに違いが出てくるのかというと、もう一つのハード面、「歴史」の部分である。ロンドン在住のある男性から聞いた話だが、ロンドンという都市の歴史を見てみると、基本的には外部にある村を吸収して大きくなっていったとのこと。だからこそ中心が分散している、とのこと。確かに、ヨーロッパの多くの都市が海に面せず川を囲んで位置していることにより、四方八方に広がる可能性を持っていて、実際にその通りに巨大化していった。また、川を囲んでいることにより、基本的には川に沿って建物を建てるため、広がる方向もバラバラになってくる。

また、歴史というハード面は、おそらく都市や国を最も面白くさせる「文化」という、ハードとソフトの中間にある要素に直接大きな影響を与える。これはリオデジャネイロに行ってから初めて気づいたことだったが、リオデジャネイロの中心から少し離れたところに、大きめなスタジアム一つを北東ブラジル人の文化施設兼テーマパークにした場所がある。ブラジルの中でも貧しい北東からリオデジャネイロに出稼ぎにきた人たちは、週末になるとそのスタジアムに集まり、故郷を懐かしみながら、おふくろの味を食べたり飲んだり、故郷の曲に合わせて歌ったり踊ったりしている。それを見たときに、「ああ、これが文化だ」と感じた。何百、何千年もの歴史がある国は、自然と地域性や伝統などが生まれる。これは、住んでいた時は当たり前すぎて考えたことがなかったが、日本でも、サテライトショップから季節の行事まで、さまざまな部分で見られる。北米でこれに気づかなかったのは、基本的にこういった歴史から伝わる文化の部分が皆無だからだ。例えばニューヨークに、オクラホマからやってきた人たちが懐かしむオクラホマ村なんてないし、料理から行事まで、伝統を匂わせるものなんて、サンクスギビング(感謝祭)とそこに出てくる七面鳥ぐらいしかない*4。

当然だが、ロンドンはこの「文化」の部分であふれていた。日常会話で使用されれるブリティッシュイングリッシュから、やたらと動物が登場するパブの名前まで、また、アフタヌーンティーで出すサンドイッチの切り方に文句つける姑から、工事用に掘っていったら王様の墓石をみつけ途中から考古学の発掘に変わった駅まで*5、いたるところに、常日頃から、こういった「文化」の部分が感じられる。これこそが日々の生活に彩りを与え、自分にとって都市を楽しむ上では欠かせないものーーおしゃれなカフェは作れても、季節の行事は作れない、倉庫でクラブイベントは作れても、路地裏のワクワク感は作れないーーこういったハードの部分が自分にとって「面白さ」を与えるのだな、と改めて気付かせてくれたロンドンでの滞在だった。

*1: これには、自分にとって一番身近な「外国に移り住んだ人」が母親であり、彼女の移住の理由が「たまたまアメリカ人と結婚したため」、という要素が大きいかもしれない。

*2: 政治など、人によって変化を作ることは可能だが、考え自体が歴史的背景における影響が強いものはハードとソフトの中間ぐらいか。

*3: ブルックリンやクイーンズが盛り上がっている最近の状況を踏まえても、未だに「マンハッタン中心説」は唱えられると思う

*4: 完全に余談だが、こういった歴史による文化がないからこそ、バレンタインデーやハロウィンの強制的なイベント化や、蔓延的に存在するスポーツに対するあの熱狂があるのでは、とも考えた。

*5: 詳細はブログにて。

text:
コミンズ リオ
cover photo:
Luke Stackpoole
essay photo:
Leo Kominz
V_
v02
18-04-02