LEO KOMINZ
"その笑顔はなにがため"|ザ・その時決める@バンコク
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ーーここはどこだ?

一年間のWorld in Twelveプロジェクトもいよいよ最後の都市にたどり着き、感慨深さに浸っていたのも束の間だった。そう、バンコクの滞在先に到着した瞬間に気づいたのだ…「ここは今までの11の都市と根本的に違うぞ」と。まず、目の前に佇んでいたのは、新築に近い、20階建てのビルだった。そのまま18階にいくと、エレベーターが開いたところにタイ人の男性が待っており、部屋に連れて行ってくれた。「この人が本プロジェクト最後のルームメイトか」と思っていた矢先、彼は鍵を僕に渡し、タイ訛りの英語で「では1ヶ月楽しんでね!」と言って出ていった。…どうやら、普通に部屋ごと貸してくれるらしい*1。そして部屋も、コンパクトだが使い勝手が良さそうなLDKと、クイーンサイズベッドがドドンと存在感を示していた、光がたっぷり入るベッドルーム。シャワーも大型なヘッドから力強いしぶきが滴る、モダンな仕様。荷物を置き、「とりあえず探検でもするか」とマンションを巡っていたら、(これは一応事前のエアビーの情報で知ってはいたが)3階のジムとプールにたどり着いた。ジムとプールがあるマンションなんて、今回のプロジェクトはおろか、人生でも初めてだ。また、この物件実は立地もよく、バンコクの市中を走る高架鉄道「BTS」のオンヌット駅から徒歩30秒なのだ。なんなら、プールで泳いでいると、電車が走っているのが見えるレベルである。「リオめ、こいつ最後の都市だからって残金使って贅沢しやがったな!」と思われるかもしれないが、なんのその、この物件、1ヶ月のエアビーレンタルがまさかの5万円なのだ。

翌日、最寄りのスーパー(駅の反対側徒歩3分)に行き、バンコク在住の友達から「タイはフードコートカルチャーが盛ん」と聞いていたので、試しに入って食べてみた。スーパーのブランドがテスコ(Tesco)という、ロンドンに滞在していた時に活用していた格安スーパーと同じだったのは多少気になったものの、結果、30バーツ(110円)で食べたカオマンガイは普通にめっちゃ美味しかった。東京で同じものをおしゃれ複合ショッピング施設(例:東京ミッドタウン)の地下レストラン街とかで食べたら10倍の1100円はするぞ!と思い皿から前を見上げたら、そこには奇妙なカップルが座っていた。まず、こちらを向いている若いタイ人の女性は、まるで人生でもっとも興味のない科目の授業を3時間ほど受けてきたみたいな、生気の全く感じられない表情で虚空の一点を見つめ続けていた。その反対側に座っているのは小太りの中年の白人男性で、白い肌着のようなタンクトップ(英語では「ワイフビーター」と呼ばれる。最悪のネーミング)をきており、右腕には輪を描くように有刺鉄線のタトゥーが入っていた。衝撃的だった。有刺鉄線が入ってるタトゥーなぞ、地元はオレゴンの田舎でもそうそうみたことないのに、こんな遥か彼方、東南アジアの大都会で目の当たりにするとは。そして、無論、二人の間に全く会話はない。虚空を見つめるタイ人女性と、ただ黙々とフードコートのタイ料理を口に運ぶ白人男性。二人の関係が、いわゆる普通の恋人同士のものではない、というのは一目瞭然だった。

さらに翌日、日本人エクスパットに人気のプロンポン地区とトンロー地区を探検した。こちらも衝撃というか、もはや何を目撃しているのか、脳が追いつけていない状態だった。「すき家」の上に「牛角」があり、その上に「世界の山ちゃん」がテナントとして入っている雑居ビル。「えがお歯科」と大きく看板が掲げられているThonlor Dental Clinic。高級デパート、「エンポリアム」の電光掲示板には日本語で「Tポイント使えます」との表記。無数に点在するラーメン屋、海鮮居酒屋、牛丼屋、その他日本料理屋。終いには「Grand Tower Inn」と書かれる、おそらく大型マンションの建築現場には、「皆様にご迷惑をおかけして大変申し訳ございません」という大型の幕が掲げられている。また、この注意書きは英語には翻訳されていたが、どこにもタイ語は見当たらない(タイ人には謝罪する必要がないと思っているのだろうか?)。テレビ局時代、香港に仕事で訪れた時を思い出した。接待に次ぐ接待で、あちらこちらのテレビ局や制作会社と高級レストランをタクシーで巡回するだけの一週間。「飯屋しか行ってないんだし、これぶっちゃけ横浜中華街でもあまり変わらないのでは?」と皮肉にも当時は思ったが、全く同じような状況がバンコクでも感じられた。もしかしたらこれはバンコクじゃなくて、たまたまちょっとタイ系の移民が多い、山陰の地方都市にでもやってきたのではないか、と。一体ここはどこなんだ、と。

ーー虚しさを呼ぶジングルベル

ここまで読んできた読者は薄々感じているかもしれないが、World in Twelveのプロジェクトの中で、実はバンコクだけが唯一、当初の時点ではあまりポジティブな感情がなかった。ご飯が安くて美味しい、や、プールとジムがマンション内にあるからすぐ運動ができて便利、などの、日常におけるプラスな面はもちろんあった。しかし上記にもあったような、「ここは、日本と西欧の資本主義とグローバリズムによる蹂躙の末路なのでは…」という感覚と、一年間世界を回った疲労からの「極度な免疫力の低下による発熱」→「五日間寝込む」もあり、かなりなネガティブマインドにはなっていた。結果だけを言うと、現地に滞在する人に多く会い始め、質問や疑念をぶつけ回答を得ることによりタイとバンコクの面白さは少しずつだが感じるようにはなった。しかし、滞在の初期段階では、このマイナス感情に拍車をかけるような気づきがどんどん増えていった。

上記にも書いた高級デパート、「エンポリアム」の上層階にある、高級スーパーを訪れた時だった。日本人だったら、成城石井やPrecce、デパートの中にあるスーパーを思い浮かべれば感覚は近い。ここで僕はPop-Tartsと言う食品を見つけた。Pop-Tartsは日本人にはなじみ薄いかもしれないが、アメリカ人なら誰もが知っている食べ物で、ケロッグ社が作っている、外側がビスケット状で中にクリームやジャムが入っており、そのままトースターに入れて焼くことができる、マーケティング上は朝食として売っているが、どう考えてもお菓子な食べ物だ(パンの部分がビスケットの「ランチパック」みたいなイメージ)。こちらの値段をみたら、119バーツ。ざっと3.70ドル(400円)ほど。そのまま、僕はスマホでアメリカ店ではいくらかで売られているかを調べてみた。安いところでは2ドル、高いところでは3ドルほど。衝撃だった。アメリカで3ドルで売られてる店があるのに、タイで3.70ドル、だと…?アメリカの工場で作られ、トラックで港まで運ばれ、タンカーに乗せられ、はるばる太平洋を渡り、バンコクの港に着き、さらにトラックでエンポリアムまで運ばれ、追加される金額が70セント(70円)だと…?これは完全に誰かが搾取されている体系ではないか!そして、その搾取されているのが、流通経路の後半にいる人たちなのは、もはや言うまでもない…*2。

結果Pop-Tartsはなんか色々考えていたら気分が悪くなってきたので購入しなかったが、いくつかの品物を買い物かごに入れ、レジに向かったら、今度はこれまた目を丸くさせるような光景が現れた。クリスマスシーズンとあり、店内にはずっとタイ語でジングルベルが流れていたのである意味予見するべきだったのかもしれないが、レジ打ちのスタッフが全員サンタの格好をしていたのである。さらに、各レジには三人ものスタッフがいた。その三人の役割とは、バーコードをスキャンする人、品物を袋に入れる人、そして…最後部でベルを握って無表情でリンリンリンしてる人…?なんなんだこれは?ただでさえ仏教ゴリ押しの国で全員サンタの格好をさせられているのも違和感満載なのだが、最後の女性に至ってはミニスカサンタコスでジングルベルと、あからさまに一種の客寄せパンダ/性対象となっている…。このスーパーのメイン客層である、西欧人、日本人、海外を知っている金持ちタイ人の趣味の悪い嗜好性がそのまま表面化されており、正直少し吐き気がした。わからない…これもこの国の雇用の一つの形なのか?この無駄な三人目を削って、他のレジの二人の給料を1.5倍にはできないのか?なんならもっと俺が金を出すから、ベル持ちの子は休ませて、バーコードと袋詰めと、なんならPop-Tartsを運んできてるトラックの運転手の給料をあげてくれ!

そう考えているうちに、不意に到着翌日に見かけてた有刺鉄線カップルを思い出した。そうか、これが違和感を生んでいたのだ。プールとジム付きの新築マンション。高級スーパーでの日常的な買い物。西欧や日本の必需品、嗜好品が全て手に入る利便性。無表情ながらも従順に性対象になる女性たち。これ、全て手に入れる生活は、ニューヨークだったら年収1億円は必要だ。それがバンコクだったら年収300万円で余裕を持って送れる。これが気持ちの悪さの正体だったのだ。たまたま生まれた国の資本と貨幣が強かったそこらへんの人が、バンコクでは大富豪のような生活を送れる。

…体調が悪かったのは、なんなら免疫力の低下だけじゃなかったのかもしれない。

ーーこの笑顔はなにがため

バンコク滞在中、この気持ちやモヤモヤはどうしても拭えなかったので、出会った住民の多くに詳細を訪ねた。なんでタイ人は「これはおかしい!」って怒らないの?不公平だと思わないの?搾取の対象だとは感じていないの?答えは様々で、どれも実に面白く、勉強になった。

ハーバードビジネススクールに遊びにいった時に出会った、タイ系アメリカ人の友人(タイであった時はすでにHBSを卒業し業界トップの某コンサルファームのバンコクオフィスで働いていた)は、非常にわかりやすく的確な答えをくれた。「その背景には色々と混在するファクターがあるんだ。まずは、そもそもの階級制度。タイでは、貧困層・中間層・富裕層が全く触れ合わない日常の中で育っていく。学校とかもそう。だから、貧困層は富裕層の存在を知っていても、それは、本当の意味で『まったく違う存在』と言う捉え方をしている。次に、階級制度に付随するけど、王朝と軍事政権の存在。プミポン国王(当時はまだ健在)は真に国民から愛されているし、王族は文字通り神格化されている。そしてそれが変わらないように、政治は全て軍事政権が取りまとめている*3。この統制により、階級制度に変化が訪れないんだ。最後に歴史。タイは東南アジアで唯一、近代に置いて西欧諸国の植民地になっていない国。第二次世界大戦時も、最初は日本側についていたのだけれど、日本が負けそうだと気付いた瞬間、しれっと『私たち、ずっと連合軍側でしたよ!』という手のひらかえしっぷりを見せたんだ。この、『どの主人を見て尻尾を振ればいいのか』を常にうまくやってる国で、だからバンコクにここまで外国の資本が入っていても、市民は特に違和感を感じていないんだと思う。」

すごく面白い話だった。そして大変納得できた。確かに、「お金持ちが羨ましい」と思う感覚は、その人が自分の近いところにいるがゆえだ。日本だと同じクラスに、クリスマスプレゼントに最新のゲーム機器とたくさんの新作ゲームを貰うやつもいれば、靴下数足だけのやつもいる。そりゃ構造的にも、靴下のやつが最新ゲーム機器のやつを羨むのは当然だ。目の前で自慢されているのだもの。しかし、タイのように、靴下のやつと最新ゲームのやつが全く触れ合わない構造だとしたら、どうだろうか。人間が鳥を見て「飛べるのっていいな」ぐらいは思っても、本気で鳥を羨ましがらないように、タイの貧困層にとっての富裕層は、まるで別の生き物なのであろう。同時に、外国の資本が発展国に入り乱れているのは、別にタイだけではなく、その後訪れたエジプト、メキシコ、ベトナムなどでも感じられた。

友人はさらに面白い話を続けた。「ある有名なパン屋のおばあさんの話があるんだ。そのおばあさんのパンは名物で、必ず一日100個だけ焼くんだ。朝早く起きて、家で100個焼いて、街に出て屋台に出し、すぐ行列ができ、大人気なので昼には売り切れる。これに対して、そのあまりの人気っぷりに目をつけたアメリカや日本のメーカーが、おばあさんに『おばあさんのブランドを出しませんか?』とオファーしてきた。『今まで以上にたくさん作れて、たくさん稼げますよ!』と。しかしそれに対しおばあさんは即答で、『やりません』と答えた。メーカーの人たちは全く理解できず、交渉を粘り続けるも、おばあさんは全く首を縦に振ろうとはしない。なぜなら、彼女は現状で十分だったからだ。仮に自分が作っているパンの秘訣を教えたとしても、それが工場で再現できるとは思ってもいないし、何より、今の自分の生活は裕福じゃなくても、十分すぎるからだった。朝起きてパンを作って昼にはもう仕事は終わる。そこからはのんびり好きなことに時間を費やすことができ、何一つ不自由なく暮らしていける。それを捨ててまで『大金を掴んだ成功』に時間と労力を費やす意味が彼女には何一つなく、メーカーの日本人や西欧人は全く理解できなかった」素晴らしい話だ。いわゆる、あの有名な「資本家と南国の少年」*4の話の実話ではないか。しかし、この話を聞いて、ある意味納得した。これは一種スウェーデンの Lagomの考えに似ており、「これだけあれば十分」と言う感覚を無理せずに内在化できれば、これほどハッピーなことはない。笑顔の国・タイの「笑顔」は、一見「どの主君(外国)に対して愛想笑いすればいいのか」の悲しい「笑顔」に感じられる時もあったが、根本にあるのは、「今ある人生の中で十分な幸福を感じて生きている」がゆえの「笑顔」なんだなと気付いた。

最後に、この笑顔を体現している二人に会った時のエピソードを紹介したい。エアビーを探している時に連絡をとり意気投合した女子大生だったのだが、結局彼女のところには滞在しなかったので、普通にご飯とお茶をすることになった。彼女は彼氏を連れてきており、お昼はその彼氏が大好きというお店で食べたのだが、その食堂、それこそストリートフードを体現したかのような店だった。雑居ビルの一階をぶち抜いて、コンクリートから鉄筋がむき出しの中プラスチックの椅子に座り、扉がないので真後ろを通る車の喧騒をBGMに豪快な麺料理を食べる。料理自体はめちゃくちゃ美味しかったが、正直「なぜここに連れてきたんだ?」という疑問は残った。そのあとは、彼女が好きだという、おしゃれなカフェでお茶をした。かわいい雑貨と間接照明に彩られた、世界中どの国際都市でも人気が出そうなお店だった。色々と話しているうちに、諸々答えが出てきた。彼女は女子大生ということもあり、中流階級の上層部の出身だった。しかし、彼氏は、貧困階級の出だった。本来なら出会わない二人は、たまたまなんらかのイベントで遭遇し、惹かれ合い、付き合い始めたのだという。無論、彼女の家族はよく思わなかったが、彼女はかなりリベラルな思考の持ち主で、「恋愛にどの階級の出身とか関係ないじゃん!」という意志を貫き、こうして付き合っている。だから、彼はあの店を選んだのか、と納得がいった。あそこは貧困層の中での超人気店だったのだ(確かに思い返してみれば異常に安かった。そして繁盛してた)。本当に貴重な体験をさせてもらった。また、彼は全く英語が話せないので彼女の通訳を通して話していたのだが、どうやら、彼にとっては僕が人生で初めて口を交わした外国人だったそうだ。「これだけ街に西欧人や日本人が溢れているのに…?」と思い、驚いた。一般タイ人と在留外国人は、本当に全く接点がないのだ。そして、「12の質問」プロジェクトの第二問「最も近いと感じる外国は?」に対して、彼女は「私は隣国のラオスとカンボジアしか行ったことないから、よくわからないわ」と答え、彼に至っては「僕はバンコクから出たことがない」と答えた。ここにたどり着くまでの一年で、文字通り世界中を回ってきた自分としては、いろいろな意味で心に刺さり抉る発言だった。

最後に、彼女は将来の夢を話した。「私はオーストラリアに行って、愛読している雑誌の編集者になりたいの!タイは保守的なところが多くて、女性の立場や考え方も凝り固まっていることが多いから、私みたいな人がチャンスを掴んで、その意識を変えていければと思う!」彼女は満面の笑みでこう答え、隣の彼氏も、終始ニコニコしながら、彼女の喋る異国の言葉に笑顔でうなずいていた。

*1: プロジェクトの一つの目標はどの都市でもそこの住人と住むことと、それにより現地民の日常を垣間見るということにあったので、その時点でバンコクは出足から失敗していた。

*2: 同デパート内にある紀伊国屋にもより、漫画や単行本の値段も確認したが、Pop-Tartsの悲しき現状とあまり変わらなかった…。

*3: 滞在中、アメリカ人記者が王朝の犬をバカにしたとして軍警察に逮捕され、実刑37年間という判決を下されていた。そういう意味ではいまだに軍事国家だと改めて思い知らされた。

*4: ある資本家(A)がバカンスで南の島にやってくる。そこで、海を眺めながらぼーっとしている少年(B)に出会う。彼は少年と話し始める。

A: きみ、その若さでこんなところでぼーっとして!学校に行くべきじゃないのかね?

B: そうねぇ…学校に行けば何かいいことあるの?

A: 学校に行けばいい大学に入れるじゃないか。

B: いい大学に行けば何かいいことあるの?

A: 卒業したらいい仕事につけるじゃないか!

B: いい仕事についたら何かいいことあるの?

A: たくさんお金を稼ぐことができるじゃないか!

B: たくさんお金を稼いで何かいいことあるの?

A: 私のように、こうやって南国の島のビーチにバカンスに来れるじゃないか!

B: …僕、もう今それやってるよ?

text:
コミンズ リオ
cover photo:
Evan Krause
essay photos:
Leo Kominz
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18-04-02